<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ここにおいて、前世の最後の一個の心路の所縁は、同時に今世の一番目の心でもあるーーすなわち、結生心(paṭisandhi citta)の所縁である(+事が分かる)。
この所縁の出現は、あなたの前世の臨終において、成熟した所の業力であり、その果報とはすなわち、あなたの結生心である。
結生心の所縁は、また、今生の有分心の所縁でもあり、また同じく、今生の死心の所縁でもある。
この事は、我々が以前に、有分心について論談した時に、すでに言及した。(有分心とは、過去のあの所縁を取るが故に・・・故に人が ”有分に落ちる” 時、全く何も分からなくなるのである。)
あなたがすでに、過去生の臨死心路の所縁を、識別したのならば、今生を引き起こすことになった果報の諸蘊(vipākakkhandha)の業輪転もまた、識別することができる:
すなわち、善思とその他の名法、および今生を齎した業生色法(kammajarūpa)と果報名法(vipākanāma)の業力(+を識別する事ができるのである。)
この様に、あなたは己自身自らの証知によって、五因が原因で、結生の時に五果が生じるる事を自ら見ることができる:無明、愛、取、業行と業有(業力)によって、今生の結生の時に識、名色、六処、触と受を生起せしめる(+事を知ることができる。)
人類としての結生は、まだ六処は形成されていない為に、二処だけである:意処/心処と身処である。
眼、耳、鼻、舌処は、その後、胚胎として、成長して後に、ようやく生起するのである。
これが、如何にして、五蘊または名色の縁起を己自身自ら見るのかという説明である。前に述べた通り、これはまた、縁生の観照(paccayato udaya)とも言う。
(9-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>