南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『禅修指南』12-7(370/520)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《梵住心所》(brahmavihāra cetasika)

四個の梵住心所がある。すなわち、慈、悲、喜、捨である。

それはまた、四無量(appamaññā)とも言う。

この四個の内、慈は無瞋心所から来ているが、しかし、どの無瞋心所でも、みな、慈であるとは限らない。

どの無瞋心所でも、皆、慈であるとは限らないという事から、ここにおいて、慈(特に慈心ジャーナ)について説明する。

慈(mettā)

相:諸々の有情の幸福と利益を願い、尽力する事。

作用:諸々の有情の利益を齎す。

現起(現象):瞋恚怨恨を取り去る。

近因:如理作意によって有情の長所を見る。

(23)悲(karuṇā)

相:諸々の有情の苦痛を取り去りたいと思う。

作用:他人の苦しみを見るに堪えない。

現起(現象):残忍でない事、または諸々の有情に対して残忍でない事。

近因:苦難の中にある有情が帰依(=拠り所)のない事を如理作意によって見る。

(24)(随)喜(muditā)

相:幸福な有情に随喜する;裕福な、成功していて、楽しい有情に随喜する。

作用:他人の成就に嫉妬しない。

現起(現象):他人の成就に嫌悪しない、または嫌悪を取り除くに至る。

近因:有情の成就を見る事。

捨梵住(upekkhā=中捨性)

相:有情に対して、中捨である事。

作用:諸々の有情を平捨において、対応する、怨恨もなく、好ましく思う事もない。

現起(現象):自業正見智(Kammassakatā sammādiṭṭhiñāṇa)。

この智は、諸々の有情が、己自身の造(ナ)した業を、己の財産として擁している事を見て、他人である人々が、その人にして上げられる事はない、と思う事。

近因:

1、楽しさ。(その意は、すなわち、有る人がその人に慈愛を散布してあげたとしても、それでその人が楽しくなれる事はない、という事)。

2、苦痛から離脱する事。(彼は、他人が悲心観を修習したからと言って、苦痛から逃れることはできない)。

3、已にある財産を減らさない様にする。(彼が擁する財産は、他人が喜心観を修習し、発願したからと言って、減らないという事はない)。

 (25)無痴(paññā=慧根=慧)

相:1、究極法の自性相と共相を、徹底的如実知見すること。

2、何等の瑕疵なく、究極法を徹底的に知見する。

例えば矢が的の中心を射るが如くに。

作用:ランプが目標を照らすが如くである。

(その意は、目標を隠蔽する暗黒愚痴を駆除する事)。

現起(現象):目標に対して迷いがない。

(よいガイドと共に森を歩く様なもの)。

近因:定。

仏陀は言う、定のある者は、諸法を如実知見することができる、と)。(この種の定は、観智の近因である)。

 《縁起品》

 (一)無明(avijjā)

相:究極法(paramattha dhamma)の真実性を知らない事。

言い換えれば、すなわち、究極法を智見する智と反対のもの。

作用:相応の法と無明の人間を、愚かにならせしめる。

現起(現象):究極法の真実性を覆う。

近因:四漏(āsava)。注47

(二)行(saṅkhāra)

相:集合して生起する;準備(業を造(ナ)す)。

作用:結生が生起する様に造作する。言い換えれば、すなわち、果(識と名色)を集合する、または果(識と名色)を生起せしめるに至る。

現起(現象):それは、思として、禅修行者の智に顕現した時に、もっとも顕著である。

近因:無明。

(三)識(viññāṇa)

相:目標を識知するかまたは取る。

作用:名色法の首領である。

現起(現象):前世と連結した状態。

近因:行、または依処色と目標。

(四)(A)名(nāma=心所)

相:目標に向かう、傾向する。

作用:相互に識と相応する。

現起(現象):それぞれに分ける事ができない。

近因:識。

(四)(B)色(rūpa

相:変化する。

作用:色法の分散、この間に結合がないが故に。(それらには相応の相がない。sampayoga lakkhaṇa)。

現起(現象):無記(abyākata)。すなわち、非善、非不善;または目標を取れない状態。

近因:識。

(五)六処(salāyatana)

相:衝撃。または心と心所の増益(āya)。

作用:見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、知る。

(これは一種の比喩に過ぎない。各々の処門処において生起する識。《大疏鈔》と《随疏鈔》参照の事)。

現起(現象):五識として、意界と意識界に出入りする処門と依処。

近因:名色。

眼処(cakkhāyatana)

相:色所縁が衝撃するのを受ける準備をする、または眼門と意門心路過程の心と心所の増益。

作用:色所縁を見る。すなわち、色所縁を取る。(《大疏鈔》参照の事)現起(現象):眼識の依処。眼門心路過程名法が出入りする処門。

近因:名色。

耳処(sotāyatana)

相:声所縁が衝撃するのを受ける準備をする、または耳門と意門心路過程の心と心所の増益。

作用:声所縁を聞く。すなわち、声所縁を取る。

現起(現象):耳識の依処。耳門心路過程名法が出入りする処門。

近因:名色。

鼻処(ghānāyatana)

相:香所縁が衝撃するのを受ける準備をする、または鼻門と意門心路過程の心と心所の増益。

作用:香所縁を嗅ぐ、すなわち、香所縁を取る。

現起(現象):鼻識の依処。鼻門心路過程名法が出入りする処門。

近因:名色。

舌処(jivhāyatana)

相:味所縁が衝撃するのを受ける準備をする、または舌門と意門心路過程の心と心所の増益。

作用:味所縁を味わう。すなわち、味所縁を取る。

現起(現象):舌識の依処。舌門心路過程名法が現起(現象)

近因:名色。

身処(kāyāyatana)

相:触所縁が衝撃するのを受ける準備をする、または身門と意門心路過程の心と心所の増益。

作用:触所縁に触れる。すなわち、触所縁を取る。

現起(現象):身識の依処。身門心路過程名法が出入りする処門。

近因:名色。

意処(manāyatana)

相:法所縁が衝撃するのを受ける準備をする、または意門心路過程の心と心所の増益。

作用:法所縁の識知。すなわち、法所縁を取る。

現起(現象):意識の依処。意門心路過程名法の出入りする場所。

近因:名色。

註:五処色は、各々の所縁色を取らない。色法たちは、所縁の法を取らない。「作用」の部分において言及した所の「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触る」は、それに似た言い方を採用したものである(kāraṇūpacāra)。

たとえば、眼処(=眼依処色=眼門)は、色所縁をみた眼識心と相応の名法たちが依存する所の縁分に過ぎない(依処は依所縁を前生する、または依処の前に依処縁が生じる)。果報法眼識心が、色所縁を見る作用の因法は、眼浄色である。

耳処、鼻処、舌処と身処もまたこの様に理解する事。

(六)触(phassa)

相:目標との接触

作用:目標との接触

現起(現象):依処、目標と識の三者が集合して生起する。

近因:六処。

眼触(cakkhu samphassa)

相:色所縁との接触

作用:色所縁との接触

現起(現象):眼所依処、色所縁と眼識の三者が集合して生起する。

近因:眼処。

耳触(sota samphassa)

相:声所縁との接触

作用:声所縁との接触

現起(現象):耳所依処、声所縁と耳識の三者が集合して生起する。

近因:耳処。

鼻触(ghāna samphassa)

相:香所縁との接触

作用:香所縁との接触

現起(現象):鼻所依処、香所縁と鼻識の三者が集合して生起する。

近因:鼻処。

舌触(jivhā samphassa)

相:味所縁との接触

作用:味所縁との接触

現起(現象):舌所依処、味所縁と舌識の三者が集合して生起する。

近因:舌処。

身触(kāya samphassa)

相:触所縁との接触

作用:触所縁との接触

現起(現象):身所依処、触所縁と身識の三者が集合して生起する。

近因:身処。

意触(mano samphassa)

相:法所縁との接触

作用:法所縁との接触

現起(現象):意門、法所縁と意識の三者が集合して生起する。

近因:意処。

註:意触の範囲は非常に大きい。双五識心相応の五触以外に、その他の心路過程と離心路過程の中のすべての相応する触所縁はみな、意触であり、六所縁はみな(+縁として)取られる。前に述べたは、法所縁(+を縁に取る)意触をのみ取り上げたものである。

《相応部》を註解した《Pahāna》では、経典を解釈するに、有分心相応の触と意門転向相応の触もまた意触であるという。

故に、先に、結生意触と有分意触を修習し、残りの意触も修習する事ができれば尚良い。經典では、意触は、果報輪転の中の触心所であると言い、故に、果報輪転の触心所は、修習しなければならない主要な意触である、という事になる。

(七)受(vedanā)

相:目標の感覚を体験する。

作用:目標の感受を受用する。

現起(現象):楽と苦の状態。

近因:触。

眼触生受

相:色所縁の感覚を体験する。

作用:色所縁の感受を受用する。

現起(現象):楽の状態(善果報眼触眼生受);

苦の状態(不善果報眼触生受)。

近因:眼触。

註:眼触生受とは、色所縁を目標に取る眼門心路過程と意門心路過程の中の、一つひとつの刹那の中の善果報受取と、不善果報受取を、所縁とする。耳触生受から身触生受までもまた、同様に理解する事。

耳触生受

相:声所縁の感覚を体験する。

作用:声所縁の感受を受用する。

現起(現象):楽の状態(善果報耳触生受);

苦の状態(不善果報耳触生受)。

近因:耳触。

鼻触生受

相:香所縁の感覚を体験する。

作用:香所縁の感受を受用する。

現起(現象):楽の状態(善果報耳触生受);

苦の状態(不善果報耳触生受)。

近因:鼻触。

舌触生受

相:味所縁の感覚を体験する。

作用:味所縁の感受を受用する。

現起(現象):楽の状態(善果報耳触生受);

苦の状態(不善果報耳触生受)。

近因:舌触。

身触生受

相:触所縁の感覚を体験する。

作用:触所縁の感受を受用する。

現起(現象):楽の状態(善果報耳触生受);

苦の状態(不善果報耳触生受)。

近因:身触。

意触生受

相:法所縁の感覚を体験する。

作用:法所縁の感受を受用する。

現起(現象):楽の状態(善果報耳触生受);

苦の状態(不善果報耳触生受)。

近因:意触。

註:経典では、六種類の触受はみな、果報受であると言う。故に、その中の一個を取って(+修習してもよいが)、更によいのは、すべての果報受を取って(+修習する事である)。

(八)愛(taṇhā)

相:苦の因。

作用:目標と界を、非常に好む。

現起(現象):心または個人が、目標と界に不満足である事。

近因:受。

註:愛は集聖諦である、すなわち、苦聖諦(五取蘊)が生起する因と縁でる。

色愛

相:苦の因。

作用:非常に色所縁が好きである。

現起(現象):心または個人が色所縁において不満足である。

近因:眼触生受または眼触縁受。

声愛

相:苦の因。

作用:非常に声所縁が好きである。

現起(現象):心または個人が声所縁において不満足である。

近因:耳触生受または耳触縁受。

香愛

相:苦の因。

作用:非常に香所縁が好きである。

現起(現象):心または個人が香所縁において不満足である。

近因:鼻触生受または鼻触縁受。

味愛

相:苦の因。

作用:非常に味所縁が好きである。

現起(現象):心または個人が味所縁において不満足である。

近因:舌触生受または舌触縁受。

 触愛

相:苦の因。

作用:非常に触所縁が好きである。

現起(現象):心または個人が触所縁において不満足である。

近因:身触生受または身触縁受。

 法愛

相:苦の因。

作用:非常に法所縁が好きである。

現起(現象):心または個人が法所縁において不満足である。

近因:意触生受または意触縁受。

註:過去の五種因(無明、愛、取、行及び業)が現在の五種果報(色、受、想、行と識)を造る。現在の五種因は、未来の五種果報を造る。

現在の愛は、未来果報の苦蘊の生起の因縁であり、現在の五取蘊の出現は、完全に、過去世の愛の因縁に基づく。故に、現在の愛は、未来世の果報の生起する因縁であり、過去世の愛は、この一世において、果報が生起する因縁である。この点に注意する事。愛と相応する因法たちと、相応果報法たちの因果縁起の修行の法門は非常に重要である事を理解しなければならない。

(九)取(upādāna)

相:目標を執取する。

作用:[愛見(taṇhādiṭṭhi)]によって、目標に錯誤的に注意した後、目標を放棄しない。

現起(現象):1、強烈な愛に属する(欲取)。

2、邪見(その他の三種類の取)。

近因:愛。

四種類の取:

1、欲取:極めて強烈に五根所縁と界(すなわち、欲界)を執取する。

2、見取:極めて強烈に種々の邪見(我論見と戒禁取見を除く)を執取する。

3、戒禁取:極めて強烈に邪行を執取する。例えば犬の真似をする、牛の真似をする等、この種の修行が己自身の生死輪廻からの解脱、己自身の煩悩の浄化に有用であると思う事。

4、我論取:極めて強烈に我論を執取する。すなわち、至上我(=創造主)と霊魂我(=被創造者)(+の存在に執着する)。

 (10)有(bhava)

註:業有と生有に関して、註釈では、それらを一体化して解説している。

智の成熟していない者の便利の為、ここでは、それらを個別に識別する方法を説明する:

(A)業有(kamma bhava)

相:業である。すなわち、業の生起。

作用:生有を引き起す。

現起(現象):善と不善法。

近因:取。

(B)生有(upapatti bhava)

相:業果;業の果、すなわち、業果の生起。

作用:業によって生起する。

現起(現象):無記果報(不善不悪)。

近因:取。

修法の注意点:

輪廻は非常に長いので、たまたま善業が生起して、善道に転生する事もあり、またたまたま不善業が生起して、悪道へ転生する事も多い。善業には、それが生起する理由があり、善果報は有を生じる;不善業もまたそれが生起する理由があり、不善果報は有を生じる。この二種類の状況は、共に出現する。輪廻が終焉していないならば、未来においても、状況は同様である。

禅修行者は己自身の輪廻の中で出現した事のある善業有と不善業有、今まさに出現しているもの、未来において出現するものに基づいて「善業有が生起するが故に、善果報が有を生じる;不善業有が生起するが故に、不善果報が有を生じる」を修習しなければならない。

(11)生(jāti)

相:一期の生命の中において、諸々の蘊の初めに生起する。

作用:与えられたものの様である(輪転する有情は、諸々の蘊を具備する一世を生きる。)

現起(現象):(前世とは間隔を置かず)今世の諸々の蘊の生起の状態。または種々の苦果の生起。

近因:業有。

註:一期の生命の中に、最初に生起した諸々の蘊は結生蘊と言う。故に、この註釈においては、生(jāti)の相は、最初に生起する、と言う。

(12)(A)老(jarā)

相:一期の生命の中において、諸々の蘊の成熟と老化。

作用:死亡に向かう。

現起(現象):青春を失う。

近因:生。

(12)(B)死(maraṇa)

相:一世の諸々の蘊を交換する。

作用:1、一世の諸々の蘊を分ける;分けせしめる。

2、一世の諸々の蘊の終結と分離。

現起(現象):今世と分離した状態。

近因:生。

註:この、生の縁ありて、老と死という部分は、概念諦と究極諦があり、この二種類は別々に修習されなければならない。

概念諦の意味:一個の生命の中において、結生は生であり、老化は老、死亡は死である。

究極諦の意味:すべての名色法の生は生、住は老、滅は死である。

 愁(soka)

相:(+心の)内部が燃焼している、または心が愁を発する。

作用:徹底的に心を燃焼せしめる。

現起(現象):親戚を失ったなどの境地において、不断に愁心を発する。

近因:不可喜(=喜ばしくない、以下同様)の目標。例えば、親戚を失う等。

悲(parideva)

相:不断に哭く;声を出して泣く。

作用:功徳と過失を言い続ける。

現起(現象):悲の感情を有する、または心の不安定と旋転、または混濁した心。

近因:不可喜の目標。例えば、親戚を失う等。

苦(dukkha)=身苦(kāyika dukkha)すなわち、「苦俱身識」相応の「苦」は苦である。(それの苦受を選んで識別する)

相:身体をして苦に遭わせしめる。

作用:智慧の欠乏する者の内心を不快にする。

現起(現象):身体の痛苦。

近因:その苦を齎す所の不可喜の目標。

憂(domanassa)=心所の苦(cetasika dukkha)

相:心をして、苦に遭わせしめる。

作用:瞋相応の心を騒がせる。

現起(現象):心内の苦痛。

近因:この憂を齎す所の不可喜の目標。

悩(upāyāsa)

親戚を失ったなどの有情が、極度の内心の苦痛を感じる瞋恚は悩と言う。(これはすなわち、それは憂受(domanassa vedanā)ではない)、という事である)。ある種の論師は、それは行蘊14不善心所の内の一であると言う。

相:内心の徹底的な燃焼。または不正常的に、失った親戚に執着する等。

作用:悲嘆にくれる。

現起(現象):身と心を目標に投入せしめる。例えば失った親戚等;または身と心を目標に投入する、たとえば、失った親戚等。

近因:不可喜の目標。例えば失った親戚。

注47:《智慧の光》では、四漏を欲漏、有漏、邪見漏と無明漏としている。

(13-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>