Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」6-30(180/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

境色(gocararūpa

境色とは、五根所縁の外境であり、それらは、それと相相応する所の根識所縁縁(=所縁としての縁)となる。

触所縁は、地界、火界、風界の三大によって構成されている事を知る必要がある。

地界は、堅さ、粗さ、重さまたは柔らかさ、滑らかさ、軽さとして体験される;

火界は、熱さまたは冷たさとして体験される;

風界は、支持性または推進性として体験される。

《阿毘達摩蔵》によると、粘着性に属する水界は触所縁の内に含まれない。色彩などその他四種類の境色は、所造色に属する。

十、色所縁(rūparārammaṇa)

色所縁の特徴は、眼浄色を打つことである:

作用は、眼識及びそれに相応する所の名法の目標となる;

現起(現象)はそれらの境となる事;

近因は同一の粒の色聚の中の四大。

11、声(=音所縁)(saddārammaṇa)

声所縁の特徴は、耳浄色を打つことである:

作用は、耳識及びそれに相応する所の名法の目標となる;

現起(現象)はそれらの境となる事;

近因は同一の粒の色聚の中の四大。

12、香所縁(gandhārammaṇa)

馨所縁の特徴は、鼻浄色を打つことである:

作用は、鼻識及びそれに相応する所の名法の目標となる;

現起(現象)はそれらの境となる事;

近因は同一の粒の色聚の中の四大。

13、味所縁(rasārammaṇa)

味所縁の特徴は、舌浄色を打つことである:

作用は、舌識及びそれに相応する所の名法の目標となる;

現起(現象)はそれらの境となる事;

近因は同一の粒の色聚の中の四大。

衝撃(abhighāto)

’Abhighāto ca visayavisayīnaṁ aññamaññaṁ

abhimukhībhāvo yogyadesāvaṭṭhānaṁ abhighāto

viyāti katvā’

ーー「衝撃とは、目標及び目標に対する敏感なる色法[浄色]が、適合する場所において生起するか、または相互に相い対する事をいい、それはちょうどお互いにぶつかり合う様である。

それらは実際に真正に相互にぶつかり合う訳ではない。(《大疏鈔》)

目標と境

眼識は、色彩しか取ることができない、すなわち、色所縁を目標としており、その他の目標を取ることはできないのである;

これが目標(visaya)であり、また、境(gocara)でもある。

同様に、その他の目標と浄色に関して解説する。

14、女根(itthindriya/itthi bhāva rūpa

女根の特徴は、女性(=女性性)である。

その作用は「彼女は女性である」と顕示する事;

現起(現象)は女性特有の色身、特徴、動作、行為の因である。

近因は、同一の粒の色聚の中の四大。

15、男根(purisindriya/purisa bhāva rūpa

男根の特徴は、男性(=男性性)である。

その作用は「彼は男性である」と顕示する事;

現起(現象)は男性特有の色身、特徴、動作、行為の因である。

近因は、同一の粒の色聚の中の四大。

この二種類の性根色は、身浄色と同じ様に、全身に分布している。しかし、「それらは身浄色が存在する空間において存在する、または身浄色が存在しない空間において存在する」などと言う必要はない。

色所縁の本質と同じく、これらは混在されることはない。

16、命根(jivitindirya/rūpa jivita)

ここでいう命根とは、遍一切心心所に属する所の、名命根にあい相応する色法である。「命」が「根」と称されるのは、それがそれをコントロールし、依存して生起するが故に、である。

命根の特徴は、維持という相を擁している事である。

しかし、それはただ、同一の粒の色聚の中、住時の俱生色法においてのみ維持される。それはまさに、水が蓮の花を維持するが如くである。

諸々の法は、各自の因と縁によって生起し、それはそれらを維持するのではなるが、保母が王子の面倒を見る様なものである。

それは、ただ、生起した諸法に関連して、己自身で生起する、ちょうど航路を決める水先案内人の様である。

それは壊滅の後に生起する事がない。というのも、己自身が不存在であり、生起する法もまた不存在にさせてしまうが故に。

それは壊滅の時に住時を延長することがない。というのも、それは己自身もまた壊滅するが故に、ちょうど灯芯と油における、燃焼の終えた灯火の様である。

しかし、これをもって、維持、発生、存在せしめる力量(=エネルギー)に欠けるのだと見做してはならない、というのも、説かれている刹那[住時]において、それは確実にこれらの作用を実行するが故に。

(6-31につづく)

  <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>