Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★謎の人物~Pañña-adhika Sayalay-4

私をテーラワーダ仏教に向けて、開眼させてくれた本は、以下の通り。

1)富永仲基の『出定後語』

「大乗経典は後世の人々の加筆である」という江戸時代の論(=大乗非仏説)で、これを読んだ時、私は「ああ、もうこれで大乗の仏教書とはお別れだ」と思えて、また実際に、これより以降は、大乗経典類を読まなくなりました。

ただし、最近は大乗に対して、大きな反感はありません。

たとえば、日本の念仏行は、テーラワーダで言う所の、仏随念の変形であると思われます。台湾の大乗で実践される念仏行は、サマーディに入った後「念仏するのは誰か?」と問う修行で、これはテーラワーダで言う所の<縁起の悟り>への誘いかと思われます。

そうであるならば、原始仏教大乗仏教は、結局は、根の部分では繋がっている様に思え、相手への理解を欠いたまま、必要以上に批判し、反目し合うのは、心を汚す煩悩になると思います。

ただし、日本の仏教界は、今すぐ、襟を正さなければ、衰退の一途を辿ると思います。

2)中村元原始仏教経典シリーズ

『法句経』『仏陀最後の旅』などなど、パーリ仏教を世に知らしめた各種の著書、翻訳書。

彼の講演会に行って、戒律について質問した体験あります。回りの人たちが「えっ、東大の名誉博士に、そんなこと聞く?」と異常に反応し、それを見て、私も非常に緊張しました(苦笑)。

3)河合隼雄

『宗教と科学の対話』『明恵夢を生きる』など

日本では《宗教に走る》と言って、宗教に興味を持ち、宗教団体に入って活動したりすると、この様に揶揄される事がありますが、河合隼雄さんは、文化、哲学、精神、科学と宗教は、人の心の内に通底するものであって、成熟した大人にとっては、心内において、これらは皆、統合されるべきものであることを、解明してくれました。

4)『アビダンマッタサンガハ』

パオ Sayadawの『智慧之光』に感動して以降、テーラワーダ・アビダンマ系の仏教書(中国語版)を手当たり次第に読んでいますが、原点は『アビダンマッタサンガハ』が一押し。

迷ったらこれに戻る。

基本は全部、ここから。

追記:ゴータマ仏陀が般涅槃する時、「私のサンガに後継者はいらない」と述べました。

日本の仏教界、寺院の継承者が長男(または婿取りした長女)である異常性、五戒さえも守らない僧侶、死者に(有料でも、無料でも)戒名を付ける愚行・・・中村博士御存命の頃、戒律に関する質問をした時、周囲から「それは日本ではタブーなんだよ」「そんなこと聞くな、馬鹿」という声が聞こえてきた様に思います。

ゴータマ仏陀の一切知智は、最初からそこにある。

我々自身が原点に帰ることができれば、万事、事も無い。

<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

★謎の人物~Pañña-adhika Sayalay-3

小学校に上がった当時は、ぼんやりタイプの子供でしたでしょうか?

学校には、勉強の為に行く、という意識がなく、祖母の作ってくれた弁当を食べるのが、一番の楽しみでした

(私立の為、給食がなかった)。

母は日本が嫌になったのか、父の DV の為か、私の小さい時に台湾に帰ってしまい、その為、祖母、父、5人兄弟で、合計 7人という家族構成でしたが(後に継母が来る)、祖母も父も、台湾語しかできない上文盲で、家には、学校で配られた教科書以外の、知的な刺激を促すしゃれた本などは一冊もありませんでした。

しかしなぜか、仏教書だけは、その時々に、手元にあって、大いに乱読したものです。台湾からの移民の我が家に、なぜ日本語の仏教書があったのか、これ、未だに謎ですが。

ただ、日本語で書かれた大乗の仏教書は、私には、まったく納得ができませんでした。

大乗の仏教書を読みながら、いつも「仏陀はこんなこと言わない」と思い、本当は何を言ったのか、<仏法の真髄を知りたい>という思いで、胸は焦がれるばかりでした。

また、日本の僧侶が結婚妻帯して、お寺の状況が、在家の一般家庭と変わらない事、僧侶の身分が世襲されている事に、子供心に「こんなの僧侶とはいえない」と思い、悶々としていました。

ただ、父が取ってくれていた朝日新聞の夕刊に、山田無文師の投稿があり、それを読んでいたく感動し、この人の弟子になりたいな、と思った事はあります。

子供なので、師に会いに行く事までは思いつかなかったのですが、今調べてみると、師の道場は、神戸の我が家から直線距離で 2、3kmくらい。

当時インターネットがあったなら、WEBで調べて、押しかけ弟子になっていたかも知れません(でも、結局、禅宗よりアビダンマ仏教が好き、かも)。

今日はこの辺で。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

★謎の人物~Paññādhika Sayalay-1

パオ Sayadaw の著書「顕正法蔵」の翻訳が完了し、ホッと一息ついています。

もうこれ以上の翻訳は、卒業・店じまいしましたので、

ホッと一息、二息、三息・・・・・・息絶えてはいけませんけど(笑)。

日本にたった一人の、緬甸のパオ森林僧院で出家したSayalay(=大乗の尼僧に相当)

~~パオ森林僧院で出家した日本人 Sayalay は、他に何人かいらっしゃいますが、現時点では皆様、還俗された、とお聞きしています~~

たった一人の ・・・ 、そう呼ばれて、我ながら少し不思議な感覚です。

謎の人物??宇宙人??

私自身の事を書いてみます。

私が何故、中国語(北京語)が得意なのか?

それは、私が神戸で生まれた台湾人(祖父母、父母、共に台湾人)で、小中学校は、神戸にある華僑向けインターナショナルスクールに通った為、日本語と中国語のバイリンガルだからです(台湾語も少し話します)。

何故、こんなに仏教が好きなのか?

これは<前世因縁>、もう、生まれつきとしか言い様がない。

3歳の時に「アラアラ、今度は女の子に生まれちゃったけど、どう振る舞えばいいかなぁ」と考え込んでいたのを覚えています(これは前世は男性であった自覚がある訳です)

5歳の時に「お釈迦様」という言葉(『お富さん』という、当時の流行歌の中に出てくる)が父の蓄音機(古いですね~笑)から流れて来た時、

「ああ、私は大きくなったら、この人の事を勉強する」

「これは遊んでいる場合じゃないゾ」

と思いました。

中学の時に一番欲しかったのは、英語の辞書ではなく、パーリ語辞典(笑)。

今日はこの辺で。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Paññādhika Sayalay般若精舎>

テーラワーダ仏教書の著作権等について

20年前、私が、弘法の為に来日されていた

パオSayadaw にお会いして、御著書を翻訳させて頂きたいとお願いしました所、パオSayadaw のお答えは

「私の著書に著作権はないけれど(仏法書に著作権はない)、翻訳などしないで、修行しなさい。修行が一番大事というものでした。

この 20年に亘り、(パオSayadaw の教えに背いて?)私が翻訳して、自分自身のブログに公開したテーラワーダ関連の仏教書は 30冊余りあり、その内、<菩提樹文庫>でPDF完全版として、掲載して頂いているものが 22冊(『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』を含めれば23冊)あります。

今後、これら翻訳文を、各種論文、またはWEB上に引用されたいとお考えの方は、許可を得る事なく引用する事はできますが、文章の改変、加筆、削除などはお控え頂きたく、また、引用元を明記して下さる様お願い致します。

なお、「パオ Sayadaw の翻訳書を、紙の本として出版して、書店で販売したい」という声を聞くこともありますが、テーラワーダでは、仏教書を営利の手段として販売し、収入・利益を得ることはできません。

もし、日本の仏教界の現状に鑑みて(<出版有志の会>等が設立されて)、私が翻訳して、当ブログに公開しました(<菩提樹文庫>[Paññādhika Sayalay翻訳コーナー]掲載分含む)、各種日本語版仏教書の出版が実現しました暁には、印税などは、元の著者、例えば『智慧の光』『如実知見』でしたら パオ Sayadaw またはパオ総本山に、お布施の形で還元して頂けます様、お願い致します。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

般若の独り言~読者の皆様感謝です!

我がブログへ、私の翻訳を読みに来て頂いています

すべての読者の皆さまへ:

本日、『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』最終章

の翻訳終了をもって、翻訳をすべて、完了致しました事

をご報告いたします。

これにて、私の 20年 に亘りました、中国語仏教書日本語訳の仕事は、完全に終了・卒業とさせて頂きたいと思います。

この 20 年間で、30 余冊の仏教書を翻訳しましたが

その中には、著作権の問題で翻訳を途中で断念しました

アチャン・チャー全集(計12巻)、文語体の中国語で書かれている為、非常に難しく感じられて断筆した、大乗系の修行論の本などが含まれます。

菩提樹文庫>湖寂管理人様が、これはと思うものは校閲後、PDF版にして、

菩提樹文庫>[Paññādhika Sayalay翻訳コーナー] 

にご掲載下さる事に関しまして、全く、感謝よりほか

言葉がありません(校閲、修正の細かい作業は、翻訳よりなお、困難に思われます)。

私はなぜか、テーラワーダ、アビダンマ系の仏教書とは相性がよく、翻訳している間、それらは常に己自身の学びとなり、非常に楽しく、毎日が<自利利他>を地で行く様になものでした。

しかし、《没有不散的宴席》 といいまして、翻訳もいつまでも、続けられるものではありません。

私も今年 70歳 になり、いよいよ遊行期に入りました。

《人生到る所青山あり》

さてさて、若い頃、中国語通訳として、中国、台湾、

タイ、カンボジア等、東アジア、東南アジアを駆け巡った様に、もう一度、世界漫遊に出かけてみたいものだと思います。

最後になりましたが、私の翻訳文の誤字・脱字を発見お知らせ下さいました方々、叱咤激励して下さいました

皆様、誠にありがとうございました。

(『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』は、後日PDF化した後、<菩提樹文庫>に掲載されますので、ご期待下さい。)

なお、来年3月に大分、東京にて実施が予定されています

<Ven.U Puññānanda Sayadaw(本雅難陀尊者)法話会>

に関する準備作業の進捗状況は、当ブログにて、順次広報されますので、引き続きご愛読の程、よろしくお願いいたします・・・たまには、独り言を囁きますし、正式に閉鎖するまでは、時々覗きに来て下さい。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

 

 

 

 

すべての翻訳が終了しました

本日、すべての翻訳が終了しました。

1)『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』の問答篇(原文P347 ~P415)が、以前翻訳して、当ブログに載掲致しました『パオ・セヤドー問答集』の中の<第15章>と、内容が完全に重複している為、当該の段の翻訳は、省略させて頂きます。

関心のある方は、『パオ・セヤドー問答集』<第15章>を、ご参照下さい。

菩提樹文庫>[Paññādhika Sayalay翻訳コーナー]

に、PDF版がUPされています。

2)原文 P417~430 各種表は、後日、<菩提樹文庫>PDF版において、収録、公開される予定です。

PDF版が、<菩提樹文庫>の 

Paññādhika Sayalay 翻訳コーナー]

にて公開されました後は、

【パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」PDF完全版】

をご閲読下さい(ブログ版は、表などが欠けています)。

本日、<パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」>の翻訳終了をもって、私のすべての翻訳作業は終了させて頂きます。

 <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」11(350~430)翻訳終了

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

当ブログ公開の

『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』日本語訳の読者の皆様に

お知らせです。

A)

『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』

の原文  P327~P415 までの

Ⅷ. 問答篇

1、障礙の克服 2、戒学疑問 3、定学疑問

4、慧学疑問 5、仏学疑問

は、『パオ・セヤドー問答集』の<第15章>と完全に重複する為、

『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』版では、<Ⅷ. 問答篇>の

翻訳を省略させて頂きます。

興味のある方は、

『パオ・セヤドー問答集』の<第15章>をご参照下さい。

(上記は、2015年、翻訳完了し、<菩提樹文庫>にてPDF完全版としてUP、[Paññādhika Sayalay翻訳コーナー]収録)

B)

『パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」』原文 P417~430 の<Ⅸ 付録>各種表は、当ブログでは、作成する事ができません。

その為、これより先、<菩提樹文庫>PDF完全版を作成される管理人様のご協力により、別途、作表後、挿入して、<菩提樹文庫>PDF完成版 として UPします。

ブログ版は表が欠けていますため、<菩提樹文庫>に、PDF完成版がUPされましたら、そちらをご閲覧下さいます様、よろしくお願いいたします。

(翻訳終了)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>