小学校に上がった当時は、ぼんやりタイプの子供でしたでしょうか?
学校には、勉強の為に行く、という意識がなく、祖母の作ってくれた弁当を食べるのが、一番の楽しみでした
(私立の為、給食がなかった)。
母は日本が嫌になったのか、父の DV の為か、私の小さい時に台湾に帰ってしまい、その為、祖母、父、5人兄弟で、合計 7人という家族構成でしたが(後に継母が来る)、祖母も父も、台湾語しかできない上文盲で、家には、学校で配られた教科書以外の、知的な刺激を促すしゃれた本などは一冊もありませんでした。
しかしなぜか、仏教書だけは、その時々に、手元にあって、大いに乱読したものです。台湾からの移民の我が家に、なぜ日本語の仏教書があったのか、これ、未だに謎ですが。
ただ、日本語で書かれた大乗の仏教書は、私には、まったく納得ができませんでした。
大乗の仏教書を読みながら、いつも「仏陀はこんなこと言わない」と思い、本当は何を言ったのか、<仏法の真髄を知りたい>という思いで、胸は焦がれるばかりでした。
また、日本の僧侶が結婚妻帯して、お寺の状況が、在家の一般家庭と変わらない事、僧侶の身分が世襲されている事に、子供心に「こんなの僧侶とはいえない」と思い、悶々としていました。
ただ、父が取ってくれていた朝日新聞の夕刊に、山田無文師の投稿があり、それを読んでいたく感動し、この人の弟子になりたいな、と思った事はあります。
子供なので、師に会いに行く事までは思いつかなかったのですが、今調べてみると、師の道場は、神戸の我が家から直線距離で 2、3kmくらい。
当時インターネットがあったなら、WEBで調べて、押しかけ弟子になっていたかも知れません(でも、結局、禅宗よりアビダンマ仏教が好き、かも)。
今日はこの辺で。