Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

MTさんへ

コメント頂いた MTさんへ

瞑想に取り組みたいとのご希望、了解しました。

私は、福岡で月1回(第二週の日曜日)、アビダンマを教えていますが、この講座は、年末(12月8日)で終了します。

来年以降、希望者がいて、諸々の条件が合えば、年二回ほど、アビダンマ集中講座を開催することを考えています。

私の住む<般若精舎>は大分県にあり、現在の所、ここで定期の瞑想会は行われておりませんが、必要に応じてお教えする事はできます。

また、来年3月に、

緬甸の瞑想指導者、Gwa功徳禅林住職の 

Ven. U Puññānanda Sayadaw(=本雅難陀尊者) 

法話・瞑想会が、大分と東京で開かれる予定です。

現在、招請作業の最後の詰めの段階ですが、12月上旬または中旬までに、ポスターの形式で、当ブログ上にて、開催日時/会場などの告知を行いますので、ぜひご参加下さい(彼の、台湾、アメリカで行われた法話・瞑想会の様子は、You tubeで見る事ができます。)

まずは、MTさんのメルアドをコメント欄にてお知らせ下さい。当方からご連絡致します。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Paññādhika Sayalay般若精舎>

 

 

 

 

般若の独り言~お寺が民泊

昨日、IT のニュースを見ていましたら、東京の由緒ある、伝統的な某寺院が、檀家が減って、墓じまいが増えた為、経営が立ち行かなくなり、庫裏を改造して、2020年の東京オリンピックの外国人客目当てに、<宿坊>を始める、とのことでした。

日本の仏教界、ここまできましたか。

まず、お寺、寺院は、運営するものであって、経営するものではない。

大前提として、仏教が、生死輪廻を認めるのであれば、寺院が墓守の役をするのも変。墓じまいは起こるべくして起こっている現象。

<宿坊>は、修行の為にその寺院に滞在する修行者、または遊行や所用で旅行する僧侶や在家信徒に向けた宿泊施設であって、観光に来た者を泊めるホテルではない。

庫裏を改造して、<宿坊>にして、外国人観光客を泊める・・・これ民泊ではないですか?

それに、この<宿坊>の受付と管理は、24時間体制で、インターネット用の TV を入れて、宿泊業系の管理会社が行うのだとか。

これでは、お寺が、業者に100%丸投げ委託して、民泊やっているのと同じ。

外国人観光客が泊まる<宿坊という名の民泊>を業務委託して、利益を得ようとする仏教寺院・・・そんな寺院に誰が、無常・苦・無我の教えを学びに行きますか?

お墓がダメなら民泊・・・

日本の仏教界、目を覚ませ!

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

 

謎の人物~Paññādhika Sayalay-9(完)

これより先の出来事は、前に何度か、ブログに書きましたが、1999年、弘法の為来日されたパオ・サヤドーに『智慧之光』の翻訳の許可を頂き、それを翻訳してWEBに公開した後、パオ本山に出かけて、2年ほど修行しました。

緬甸から日本に戻れば、(Sayalayとはいえ)二人の息子の母親でもあり、孫もいて、世事、雑事も多く、修行はあまり進みませんが、この 20年の間に、パオ・サヤドーの著書を始め、テーラワーダの色々な仏教書を翻訳して、ブログに載せたものが 30余冊、<菩提樹文庫>に選抜して掲載されたものが 22冊(「顕正法蔵」を入れると 23冊)。

70歳になった私は、そろそろ修行に専念しようかな、と思います。

あちらこちらの僧院を訪ね歩いたのが、私にとっての林住期とすれば、次に来るのは遊行期・・・さて、どこをどう歩けば遊行になるのか・・・今ではパオ分院は世界中に飛躍的に増えており・・・私の住む九州には種田山頭火の歩いた道があり・・・

とりあえずの、Paññādhika Sayalay の人生奮戦記中間報告はこの辺で。

謎の人物は、謎では無くなりましたか?

ちょっと残念(笑)

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

謎の人物~Paññādhika Sayalay-8

修行の為、タイの森林僧院に通って15年目の夏、私は日本に帰る道すがら、台湾に寄る事にしました。

台北で偶然、「慈雲」という雑誌に

パーリ語教室開催中」

という広告を見て、許洋主先生の主催するパーリ語教室に顔を出してみました。

先生は、チベット語サンスクリットパーリ語、日本語、英語を操る才媛で、これらの言語の習得を必要としている僧侶方~~多くは大学院在籍の方々でしたが~~に週の五日間、日替わり・無料で、教えておられました。

私は、パーリ語だけ習いに通っていた所、カシミールだったか、ガンダーラだったかに留学予定の女子学生が、私に

「あなたはパーリ語が好きな様ですが、この本如何ですか?」

と言って、パオ・サヤドーの『智慧之光』を手渡してくれました。

色聚(素粒子)の無常・苦・無我を観ずる・・・

心心所の無常・苦・無我を観ずる・・・

そこには、私が経典「雪山童子」篇を読んだ後に、長年探し求めていた、無常・苦・無我に関する説明、刹那生・滅、止禅と観禅に関する説明が、もうこれでもか、これでもか、というほどに書いてありました。

すごろくは、今、上がった。

そう直感しました。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

謎の人物~Paññādhika Sayalay-7 

パオ・サヤドーは著書の中で「人に神秘体験を語ってはいけない」と言います。

その理由は、たとえその神秘体験が嘘ではなく、実際にあったとしても、聞いている人が「そんな事は有り得ない」と否定した場合、否定した側の不善業になるから、というものです。

私も、子供の時から幾つかの神秘体験をしているのですが、文盲で台湾語しか話せない祖母や父に相談する訳にもいかず(私の初歩的な台湾語では、それほど深い話ができない)、神秘体験については、どの様な位置づけをすればよいのか、心理的に棚上げ状態になっていました(注)

そんな中で、タイのアーチャン・チャーのお弟子さんと懇意になり、その方が住職を務める森林僧院に、修行に行く様になりました。

タイ語は「ニーアライ?」(これは何ですか?)しかできませんでしたが、いよいよ困ったなら、中華街に行けばなんとかなる、と強気に出ました・・・というより何より、仏法の真髄を学ぶためにはどうしてもタイに行かねば、という使命感の様なものに押されて、後先考えずにカンチャナブリの森林僧院に向かったのです。

35歳の頃でした。

そこでまず最初に聞いたのは

「輪廻は本当にあるのか?」

答えは

「修行すれば分かる事を、他人に聞いてはいけません」

これより以降、これまで一人で抱えて来た、神秘体験を含む、諸々の疑問を解明する為に、毎年一度は僧院を尋ねて、こまごまとした疑問を質問していきました。

そうやって15年ほど経った頃、住職さんに、少し不満を感じる様になりました。

一年に一度外国からやってくる在家の女性に、それほど深いダンマは教えない・・・私の安般念は深まらないし、深まったとしても、そこから先の修行の道筋が見えてこないのです。

ありていに言えば、毎年、カンチャナブリの僧院で、住職さんとお会いする度に

「安般念は、上手くいっていますか?」

「心は安らいでいますか?」

とは聞かれても、無常・苦・無我を知るための止禅と観禅に進むためには、何をどうしたらよいのか、という指導はないまま、15年が過ぎてしまった、という感じです。

そして、15年目の夏、私は台湾でパオ・サヤドーの著書『智慧之光』(中国語版)に出会う事になりました。

その衝撃といったら・・・。

(注)私の、仏教への探求の姿勢とその成果は、長い間、実家の家族にも親友にも、夫にも子供達にも、誰にも話しませんでした。

仏教が迷信ではなく、一生学び、一生修行するに値する、人を幸せにする教えかどうか、軽々に語れるものではない、と思ったからです。

私が仏教について発言する様になったのは、パオ・メソッドに基づいて修行すれば、無常・苦・無我を観ずることができる、すなわち、素粒子と心(心所)の生・滅は、慧眼で見る事ができる、という仏陀の教えの真髄を確信するに至って以降です。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

謎の人物~Paññādhika Sayalay-6

高校生の時、日本の仏教界の、あまりに軟弱な有様に絶望し、大学生の頃、少し政治活動に首を突っ込みました。

勿論、台湾籍の在日外国人ですから、公に政治活動をするのは気が引けましたから、まぁ、ちょっとした集会に顔を出すくらいですが・・・そうそう、ちょうど成田国際空港建設の為の、土地強制収容に反対して、農民が立ちあがった頃で、農繁期に援農に行ったことがあります(昔の田植え作業、手仕事の過酷な事~3日でダウンしました~笑)。

しかし、政治活動を通して(左翼活動家の言動の観察を通して)、政治は人を幸せにしない、という事にも気が付きました。

本当に心底の慈悲でもって、政治を担おうという人は少なく、たとえそうであっても、カリスマの指導する一国の栄華は、一時的なものであって、それは決して永続しない上に、そもそも、仏教で言う所の個人の心の解放・解脱と、国家の繁栄は、直接的には、関係がないからです。

政治で人は、幸せになれない・・・こうして、私は、2年間の<道草>を終わらせて、また仏教への学びを、再開しました。

この時、日本の仏教界に絶望していましたから、

「そうだ!仏教の原点を尋ねて、インドに留学しよう」

と思ったものです。

ただ、後に、インドでは仏教は廃れてしまい、原始仏教テーラワーダとして、タイや緬甸に残されていると知ったので、いつかタイに行ってみたいものだと思い、子育てをしながら、機会を伺う様になりました・・・出家願望がありながら、早くに結婚したのは、若い後添えを迎えた後、人が変わってしまった父に代わる<保護者>を求めていたのかも知れません。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

謎の人物~Paññādhika Sayalay-5

No3. で少し触れましたが、実母は、私を産んだ後、母国台湾に帰ってしまい、私が10歳の頃、継母がやってきました。

継母でも、優しくて、継子と仲良く暮らす人はいる様ですが、我が家にやってきた人は、強気なタイプで・・・二度と妻を失いたくないと思った父が、彼女を溺愛し、恐妻家になってしまった為、それまで祖母を中心に楽しく暮らしていた家庭の雰囲気は、一気に暗転してしまいました。

ただ、私は、その逆縁を、己自身の諦観に変える事が出来たのは、我ながら、上出来だったと思います。

私は、継母との確執の中で、ゴータマ仏陀の言う四苦八苦、その中の<怨憎会苦>に気が付いたのです。

継母が悪い訳ではない・・・恨むなら、この家に生まれて、継母に会う縁を造った、己自身の無明を恨め・・・その時の小さな悟りは、後に、仏陀の《不受後有》という言葉によって、裏打ちされる事になりました。

私の、仏法への信頼の始まりです。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>