2017-09-26から1日間の記事一覧
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 己の禅修行におけるレベルの低下に、メーチ・ケーウは怒り悩んだが、しかし、何をどのようにするべきかは、分からなかった。 ある日の夜、彼女は禅を行している時、突然覚醒して、己自身を責め始めた。 その時、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 直観によって、アチャン・コンマは、彼女の深くて厚い定力を、外界の境界を追求し、色相(=物の形)に執着することから、全面的に、己自身を観察することに、転換しなければならない事を知った。 以前の教師が、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 我們最渇愛最執着的就是這具身体、 (我々が最も渇愛し、最も執着するのは、己の身体であるが) 如此一来就必然要受苦。 (そうであるからこそ、苦を受ける) 看清楚這副臭皮嚢! (見よ、この臭い皮袋!) 它就…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここでは、日常生活に使う色々な品物が、不足した。 斧、鋤、鍬など、ほとんどの物は、村人に借りた。 メーチたちは、竹で湯呑や、その他の台所用品を作り、ビンロウの殻で、簡単な履物を作った。 生活条件は非常…
今、毎日「メーチ・ケーウの物語」を翻訳していますが、私のタイでの経験と重なって、なんだかほろ苦く、また、人間はなかなか変われないものなのだなぁ、と感慨深い。 メーチ・ケーウが住職アチャン・カンパンの恋愛・還俗事件の為に、生まれ故郷に戻り、一…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その始まりから今日まで、道場の女性たちは、彼の膝下で、すでに8年近く参学していた。 彼の還俗は、寺院に波風を立たせただけでなく、住職の席につく者がいなくなり、尼僧たちは、どこかもっと理想的な場所へ、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一粒の、サマーディの中にあり、単純で合一した心は、非常に奥深く微妙で、清らかで透徹していて、力がある。 ただ、この専注する心を、観の修行に用いてこそ、出世間の智慧を証得することができる。 ただ、徹底…