Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-07-17から1日間の記事一覧

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 念住と智慧の力は、あの、火で焼かれるような強烈な身体の疼痛を、完全に消失させた上、私の身体をもまた、意識から消え去らしめた。 能知(=知る者)は、独自に存在しており、それはまるで空中に浮いているよう…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 痛みの始まりにおいて、私の手と足と背中の疼痛は、電気で焼かれているようであったが、しかし、これはまだ、ただの序の口に過ぎなかった。 疼痛が極点にまで到達した時、四肢百骸は、燃え盛る火の中に放り込まれ…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <その時から私の奮闘は始まり・・・> そして、その頃から、私は夜通し、すなわち、夕方から明け方まで、座禅・瞑想するようになった。 ある日の夜、私はいつもの通り、己の内部に向けて専注していた所、それ(…

般若の独り言~塩と砂糖

毎日、暑い日が続きます。 年寄りは、熱中症になり易いらしいです(喉が渇いたとかの、自覚するべき感覚が鈍くなるので)。 その為に、老人は喉が渇いても乾かなくても、時間を決めて、水を飲みなさいと言われる。 そして、飲むのは真水ではなくて、水に塩と…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 持続的にサマーディに集中している心は、平等と不動揺を保持するが、それは徹底的な充実を感じせしめる。 これは、内在における結合が、ある種の非常になる緊密的な集中を有するという感覚があるからであるが、日…