パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-53
無生物の不浄観は、死体の不浄を観察する。
先に、外部にある死体の不浄が厭わしい事を観察し、定力が深くなって、
禅支が明確に確認できるようになった時点で、自己の内部を観察し、
以下のように省察する:自分もいつかは死ぬ。死ねば、外部にあるこの
死体と同じようになる、と。
定力が深まると、自分の死体を見る事ができる。このように内部、
外部の死体の不浄を観察することができるならば その後、自分が
観禅の不浄観は、究極の色法を分析した後、これらの色法はすべて、
不浄で厭うべき色彩、音、臭いなどと関連している事、又、身体の中
には、各種の虫が充満している事、身体は虫の便所、虫の病院、虫の
墓場である事を省察する。
このように(+自己の)内部と外部の不浄を観察するならば、有情の
衆生への貪愛を断ずる事ができる。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)