『阿羅漢向・阿羅漢果』4-4
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
心は極端なほど微細である。
その為に、それがどのような構造になっているのかを、明確にする事を、難しくさせている。
唯一、心が、ある一定のレベルの禅定を証得する時のみ、その本質は突出する。
経験のある禅者であっても、心の本質を理解するのは難しい、彼がサマーディを証得しているのでなければ。
心は身体の中に安住してはいるものの、しかし、私はそれを偵察して見つけ出す事は困難である。
それはそれ程までに微細なのである。
それは、全身に遍布しており、我々は、この部分が真正なる心であるとか、あの部分が真正なる心であるとかを言えない。
それは微細すぎて、禅の修行を実践する事によってしか、それを察知する事ができない。
禅の修行を通して、我々は心を分離する能力を身に着ける事によって、身体と心は、異なる存在である事が分かるようになる。
これはあるレベルにおける分離であるが、心はサマーディのレベルにおいて、この事が成し遂げられるが、サマーディの状態の内においてしか、成功しない。
(4-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
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