般若の独り言~お布施ご報告
Kさま、お布施届きました。
3月に開催されます U Puññānanda Sayādaw の法話会を始め、今後のダンマの活動に、活用させて頂きます。
私が毎日の水中運動で出会う友人に、Aさんがいます。
Aさんはよく「自分が檀家として属しているお寺の若い住職さんが、説法が出来なくて困る」とぼやきます。
私たちはなぜ生まれて来て、なぜここにいるのでしょうか?
自分はどこから来て、どこへ行くのでしょうか?
世界はありのままに、目でみた通りに、脳で考えた通りに、存在しているのでしょうか?
ゴータマ仏陀の教えた<無常・苦・無我>とは何でしょうか?
これらの大疑団を、お寺に生まれたからという理由でお寺を継いだ若い人が、佛教大学に進学したら解決できた、などとはとても思えません。
水中運動で出会う老人たちも話題は
「寿命を延ばすにはどうしたらいいか」ばかりで、
「長生きしたとして、一体、己の中の何がどうなるのか?」
という【そもそも論(業や往生の問題)】を話す人は皆無です(もっとも、こういう事に関心を持つと『厨二病』と言われる為、日本では、大人の話題として、相応しくないのかも知れません。)
野山を削り、工業を発展させて、結果、経済は高度に成長し、生活は楽になり便利にもなりましたが、己への<大疑団>を持たない人間には、<存在の本質>を解き明かすチャンスは到来しない、という事が明白になった昨今です。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>