wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-14

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

不要懐疑禅修的価値、也不要低估自己的能力。

(禅修行の価値を疑ってはならないし、己の能力を低く見積もってもならない)

在追求真理的道路上、不管修到哪里都満足于当時的成績、

(真理を追求する道において、どこまで修行したかに関わらず、その時々の成果に満足する事)

因為這個成績反映了部分的真理、是你可以依凭的。

(この成果は、部分的に真理を反映しており、あなたが拠り所にしてもよいものなのである)

生涯の祝福

アチャン・サオは卉晒村一帯に、合計三年ほど滞在した。最初は森林の端にいて、その後に、もう一つの端に引っ越した。

アチャン・サオたちが引っ越しを希望する時、達頌はいつも一緒に彼らと共にいて、新しい引っ越し先を探してやり、その後に、友人たちと一緒に、小さな茅葺小屋を建てて、サンガに布施をした。

アチャン・サオが坎差伊県に別れを告げて、北方へ行脚しようとした時、この地域の、宗教的な環境は、完全に変化していた。

彼の影響力はかくも広く、大部分の村民は、神霊への崇拝を捨てて、仏教を受け入れた。

達頌は、他の人々と同じように、仏教がこの地で旺盛になった事を喜んだ。

アチャン・サオが村を離れる時、彼の心は悲しみで一杯になると同時に、すでに仏法が、普泰族の居住区域において根付いた事を喜び、また安心した。

しかし、達頌は思いもしなかったのだが、アチャン・サオが去った後、もう一人の、その当時、最も尊敬される森林仏教の禅師が、間を置かず、続いてやって来たのである。

タイの現代仏教史上、アチャン・マンの一生と果の証悟は、崇高無比な地位を有していた。

聞くところによると、彼が開示する所の、甚だ深くて微妙な仏法の威力と摂受力は、人以外の有情でさえも、心底悦服した、という。

天神、龍、キンナラ鳥と阿修羅はすべて、彼の慈悲の光の中に、まどろんだ。

彼の優れて厳格で、刻苦の修行の道は、彼をして頭陀僧とならしめ、その当時において、苦行の道風を切り開いた。

彼の弟子は数が多く、皆、彼を模範とした。

彼は円満で欠点のない心霊の戦士として、決して妥協することのない戒律によって、これらの弟子を統率した。

伝説によると、一目アチャン・マンを見るだけで、一生涯幸せでいられた、という。

(3-15につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

是誰庵のひとやすみ~翻訳の速度

読者のみなさまへ

最近、ちょっと、翻訳の速度が速いですね。

申し訳ないです。

銘々各自、ご自分のペースで、どうぞごゆっくり、閲覧して下さい。

なぜ速いかというと、次にもまた、女性修行者の活躍を描いた中国語の仏教書が控えているからです。

正確にいうと、アチャン・ネンという名の、タイの女性修行者が一心に打ち込んだ修行法である<身念処>の解説書です。

私がこれまで、断片的に聞いていた<身念処>を、系統立てて解説しているこの本もまた、『メーチ・ケーウの物語』と同様、非常に貴重だと思います。

女性が主人公の仏教書!

ぜひとも、翻訳しなくっちゃ!

仏教界も、いよいよ、女性の時代到来か?!)

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-13

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

ここの村人ーー特に敬虔な仏教徒は、斎戒の日には、時間を見つけて仏教関連の活動に取り組んだり、寺院に行って、お布施を届けたり、雑務の手伝いをしたり、仏法の教えを聞いたり、または禅の修行をしたりすることが、習慣になっている。

また、人によっては、すべての活動に、参加する者もいる。

この時、達白はすで 13 歳になっていて、彼女は毎朝早くから、父母について、邦克朗の森林道場に行った。

彼女は女の子であった為に、出家者と一対一で話し合う事はできなかった。

故に毎回、アチャン・サオが、在家の人と話をしている時、彼女は遠く離れた仏殿の後ろ、かろうじて、彼の柔らかな話し声が聞こえる場所に、座った。

達白は、婦人たちの後ろに座り、継母の肩越しに前を見て、仏法を注意深く聞いた。彼女はこの種の雰囲気に、深く酔いしれた。

達白は、すべての村民と同じように、生まれてすぐに、当然のように、鬼神への信仰を受け入れたし、彼女の世界観は、当時の人々と同じように、歴史的影響を受けていた。

彼女は、小さい頃から、鬼神の存在を知ってはいたが、盲目的に信じることはなく、常識的な観点に立って、因果を理解しようとした。

家には小さな祭壇があって、先祖を祭ってはいたが、達白の性格の故に、彼女は自然に、仏陀に帰依し、仏法を受け入れた。

こうしたことから、達白は、小さい頃からアチャン・サオの深遠なる影響を受け、彼のあの簡素で、現実の中に真理を追求する態度、平和で静かな落ち着いた気質と荘厳な威儀に、気持ちが揺れた。

アチャン・サオの性格、彼の話した話、彼の存在自体が、達白に堅固な信心(=確信)を激発し、彼女の心の中に、消える事のない印象を残した。

彼女は、アチャン・サオの教えを聞いて、禅の修行における、一境への専注を、実践した訳ではなかったが、しかし、心内ではアチャン・サオがすでに証悟した所の、円満静寂な境界を、感受していた。

非常に速く、達白はアチャン・サオの徳行による感化を受けたが、この一陣の微妙なる摂受力は、彼女を新しい方向へと向かわせることとなった。

彼女は生まれて初めて、この種の力に、忘れがたい思いを持った。

当時、アチャン・サオは、女性たちがサンガに供養をする功徳を讃嘆していたが、それは彼女たちが、毎日食べ物と必需品を供養するのは、出家者を利益するだけでなく、同時に、己自身においてもまた、将来、福報が得られるのだ、とした。

また、アチャン・サオは簡単にまた断定的に、どのようであっても、この布施の功徳は、出家してメーチになって、森林寺院で禅の修行をすることとは比ぶるべきもなく、メーチこそが、一切有情衆生の福田である、と補足したのである。

法話の席で、この話を聞いた達白は、大いに驚いた。

この日、アチャン・サオは、この小さな女の子の心の内の奥深い所に、小さな一粒の種を蒔いた訳であるが、この一粒の種が、ムクムクと芽を出して、やがては、天を突く菩提樹になろうとは!

(3-14につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-12

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

アチャン・サオは、朴訥で口下手だった為に、村民に対して、どのようにして、恐怖を乗り越えるのかという事を、分かり易い言葉で、簡潔に教え、信心(=仏法への確信)と戒について、何度も教え、指導した。

信心を激発する為に、彼は村民に対して、動物を犠牲にして行う祭祀を、仏・法・僧の三宝への帰依に変えていく事を、奨励した。

戒に関しては、彼は、皆が五戒を受けるよう、勧めた。すなわち、不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒であった。

己自身の心と行為を守り、己と他人を傷つけさえしなければよいという、かくも簡単ながら、強くて力のある修行を実践したならば、庇護を得られることを、村民は、学んだ。

村民の恐怖を解消するために、アチャン・サオは、禅の修行の守護力を解説した。

彼はまず皆と共に、仏陀の功徳を念じ誦えるようにし、彼らの心が静かになった時に、更に進んで、彼らの疑惑と心配を解決するために、簡潔に直接的に、道を示した:

”みなさん、怖がる必要はないのです。

あなたがたが禅の修行をして、‘仏陀仏陀仏陀‘ と念ずるならば、神霊はあなた方に、干渉することはありません。

我々は必ず病気をしますが、もし、病気を鬼神の祟りだと考えるならば、それは違います。

我々の身体は、一方では、壊れながら、一方では、元のようになるよう、修復しているもので、人は身体がある限り、必ず病気になります。

亡くなった親戚に助けを求めても、無駄なのです。それよりは、禅の修行をして、その功徳を彼らに回向してあげれば、皆が利益を受け取ることができるのです。”

(3-13につづく)

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-90

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

このように、ジャーナと尋と伺は、相応しながら生起し、これを尋有り、伺有り、という。

それはちょうど樹木に花有り、果実有りというようなものである。

しかしながら≪分別論≫においては、この教法を終始「彼は擁している、完全にこの尋とこの伺を擁している」と形容している。

その含意は同じであることを、理解しなければならない。

喜(pīti):それは心をして清く爽やかにさせる。そうであるが故に、それは喜である。

その特徴は、目標を親しいものに変える事;

作用は、心と身において爽やかですがすがしい感じを齎すか、または喜が遍満、充満する;

今ここに起こる現象は、喜悦である。

喜には五種ある:小喜、刹那喜、継続生起喜、勇躍喜、遍満喜である。

1、小喜(khuddikā-pīti):身体の毛が(+喜びで)逆立つ。

2、刹那喜(khaṇikā-pīti):異なる時間に生起した稲妻のようである。

3、継続生起喜(okkanikā-pīti):波が海岸に打ち寄せる様に、全身において、何度も遍満する。

4、勇躍喜(ubbegā-pīti):非常に強い喜で、身体を持ち上げることができる。身体は空中に浮く。

5、遍満喜(pharaṇā-pīti):この種の喜が生起する時は、全身が遍満されて、(+尿で一杯になった)膀胱のようでもあり、また、洪水で水で一杯になった洞窟のようである。

(5-91につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-11

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

そのような事から、それぞれの田舎の村の真ん中に、仏教寺院があるにはあっても、神霊信仰が、村民の日常生活の、重要な位置を占めていた。

アチャン・サオは、長年、村々を行脚して、村民に持戒の功徳を説き、彼らの行為と信仰が齎す結果について、解説した。

彼は、神霊の存在を否定しなかった。これら神霊はどこにでもいたーー森林、木の上、高山、洞穴、河川、稲田、土地と空にーー彼はこの種のアニミズム信仰を許したが、彼が反対したのは、神霊が人類の煩悩の根源であるとか、または、神霊が苦難を齎すのだという考え方だったが、故にまた、彼は、犠牲の動物を用いて、神霊に賄賂を与え、そのことによって、災難や悪運から逃れようとすることにも反対した。

鬼神は太陽、雨、朝霧と同じように、普泰人の田舎での生活の一部分であり、出生や生活、死亡と同じように、分割できないものであった。

アチャン・サオは、鬼神を排斥することはなかったが、しかし、彼は村民に対して、鬼神もまた、我々と同様に、その一人一人が、己自身の行為の果報を受けがわねばならず、それらは皆、過去の業によって、鬼にもなりえ、神にもなりえるのだと教えた。

これらの、鬼神を祭祀することの問題は、彼らに、大きすぎる力を、与えてしまう事である。

アチャン・サオが指導する所の重点は、因果の自己責任であった:喜悦とを悲しみ;楽しみと苦痛;足るものと足らざるもの;これら一切は個人が過去において造りし業と、今現在の行為の結果であった。

普泰村の村民は、徐々に心の転換を感受し始め、一戸また一戸と、信仰を変えたーー仏陀と、己自身の、持戒の功徳による守護力を信じ、多くの村民は、祖先を供養する為の神龕と神像を、すべて燃やしてしまった。

ただ、何人かの村人は、このようなやり方に対して、神霊はどのように反応するのか?報復をしないものだろうか?と、仏教に対して、懐疑的な態度をとった。

(3-12につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-10

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

達頌は嬉しくなって、即刻、作業を始めた。

アチャン・サオがここで雨季を過ごす為には、いくつかの建物が必要であった:

一人の出家者に、一軒づつの茅葺小屋、食堂と経典を読誦する大殿。それ以外に、歩く瞑想の修行に使う小道、及び厠も必要であった。

村民は、樹木を切り倒して柱とし、竹を切り出して床や壁とし、長い萱草は、まとめて束にして、屋根とした。

彼らはまた、地面を平らにして掃き清め、歩く瞑想に使う小道とし、糞壺を掘って、周りを萱草で囲った。

達頌と友人たちが、すべての作業を終えたとき、一つの小さな、きれいに整った森林道場が、荒野の中に、姿を現した。

仏教を受け入れる前のその昔、普泰族はすでに、先祖崇拝と神霊を拝む信仰を持っていた。

彼らは、動物を犠牲にして、森林を守る神と先祖の亡霊を祭った。

普泰人の先祖崇拝の信仰は根深く、先人を祭る神龕は、生活の中での最も重要な部分となり、大昔に死んだ歴代の祖先に、日ごと祭祀し、慰撫するのであった。

彼らは、先祖を祭ることによって、子孫、家屋、村の災禍、子孫の犯した間違いなどから、守って貰えると考えた。

もし、何事も順調であるならば、それは神霊が、その家の心がけに満足したということであり;もし順調でないのであれば、自分たちが、まつりごとを怠けて、神霊を怒らせたのだと考えた。

故に、何をするにしても、まずは吉日を選び、お供えをして、当地の神霊の機嫌をとらねばならなかった。

これらの神には、天神、水神、稲の神が含まれ、彼らの生活自体が、水と稲とに、密接な関係があった為に、普泰族には、以下のような古い言い伝えがあった:

「食事のときは、稲の神を忘れず、魚をくれる水神も、忘れてはならない。」

(3-11につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>