Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

2016-11-05から1日間の記事一覧

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)1-3

仏教は、西漢末期から中国漢地に伝来し、伝来してから2000年の歴史がある。仏教はすでに、中国の伝統的な文化の、分ける事のできない、重要な一部分となっている。 しかしながら、中国人の中で、どれほどの人が、仏教とは何かを、説明できるだろうか? どれ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-13

立ってする修行と、座ってする修行は、基本的には、あまり変わりがなく、双方とも、リラックスして快適である状態で、息を覚知する。 行禅(=歩く瞑想)の時は、まず、経行道(=歩く瞑想に使われる道)の起点に立ち、目を閉じ、息を覚知する。心が静かにな…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-12

定力が相当程度の進展を見せたとき、禅の修行者は、往々にして、各種各様の光明を経験することになるが、場合によっては、己の定力が光明に干渉されているように感じる事もある。 これらの光明は、定の修行をしている過程に生じる自然現象であり、それらに構…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)1-2

上座部仏教によると; 仏陀は千変万化、求めれば必ず応じてくれる神、ではなく、また、どこにでもいて、できない事は何一つとてないという、そのような救世主でもない。 仏陀は、一人の、智慧と徳行が円満な覚悟者(=覚醒者、悟りを得た人)であって、煩悩…