Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―33

7、やすらぎ

内心が平和な時、世界は平和になるーー

我々の心の中には非常に貴重なものが隠されているーーそれは

すらぎである。

やすらぎとは、心の中の安楽と静けさの事を言う。心の内が平

和になったならば、外部にある世界は、縁に沿って(自在に生き

る事が)出来る。

し、自己の内心を平和に保つことができず、我々が

過剰に外部世界に執着するならば、(希望のしなじなが)

得られない、という苦痛に見舞われる。

過剰な欲望は苦痛であり、過剰な欲望に束縛されることも

苦痛である。

足るを知り、楽しく生きるーー

やすらぎはどうやったら得られるのか?

まず、過剰な、不必要な欲望を手放す事。24時間、自己の心の

知足を観照し、不満足(の感情)に陥らない事。

考えてみれば、我々は今日、三度の食事に事欠かない。

もうすでに十分ではないか?アフリカやその他の地域で、

一食の食事も事欠く難民がいるが、我々には三度の食事が用意

されるのだから、これほど幸せな事はない。

浴室(兼トイレ)に不満があるとして、お向かいの中国には、

生活の水準が低く、トイレに扉もついていない所もあって、

トイレでしゃがんだら、同じくしゃがんでいるお向さんと、

おしゃべりできるくらだ、という事を思い出してほしい。

(中略)

台湾のトイレもそれほど理想的ではないかも知れないが、

知足という観点では、満足できるレベルではないか。

我々が内心に本当の楽しさを擁する時、それは知足でもある。

本当の知足は、あなたに満足をもたらす。

私は24時間、足るを知る境地にあるので、とても楽しく、

心の内になんの不満も持っていない。衆生に

ついては、私を害する者、誹謗する者であっても、

私は彼らを讃嘆する。というのも、私は人々の批判があってこそ、

長するからである。

私を褒めてくれる者、支持してくれる者には、私も讃嘆するが、

それは、彼が三宝を護持してくれるからである。

の長所は、今まで誰をも恨んだ事がない、事である。

今日、嫌な事に出会ったら、それは私の業であり、

逃げ切ることはできない。

故に、軽安ーー心の内部にやすらぎを保持すれば、

人は真正の命を擁する事ができる。

これこそが、我々が探し求めなければならないものである。

欠乏感は欲求不満から生まれるーー

人間は、毎日肉だの魚などのご馳走を食べたから

幸せだという事はない。外車でドライブし、ビルを所有して

いるからといって一切が順調だ、という事はない。

し、あなたがやすらぎの世界に入る事ができたならば、

界には、あなたが経験した事のない、また別の天地があることが

分かるが、それはあなたの内心、あなたのやすらぎである。

なたは一日中、外へ向かって追及している:お金、容姿、

誉、グルメ、睡眠。名利、金銭、容姿、異性、欲望、

そんなものばかり、追求している。

あなたは気持ちを180度回転させて、冷静になって、

心内の智慧とやすらぎを追及してみて欲しい。

24時間、あなたが永遠の知足を知るならば、あなたの欠

乏感は消える。

人はなぜ欠乏感で悩むのか?

れは、我々が足るを知らないからである。

欲望は罪悪ではない。正当で正しい欲望は肯定されなければ

ならない。しかし、過剰な欲望は、必ずや欠乏感をもたらし、

あなたは永遠に満足する事がない。

心に不満を抱く人は、仇が多く、おちつかない。

故に、我々は心のやすらぎ、軽安な心を見つける必要がある。

我々出家者は、映画をみない、ダンスもしない、コーヒーも

飲まない、マージャンもしない、女性と付き合わない、外

界にあるダンスホールにも近づかないし、何の娯楽もない

日々を送っているが、では、我々出家者は何をもって日を

送っているかというと、それは智慧、やすらぎ、慈悲、忍辱、

寛恕、無恨、精進、三宝への信頼、慙愧の心で日を送っている。

これらを擁すれば、一切を擁したことになる。(つづく)

       (台湾高雄文殊講堂 慧律法師著

                 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)