wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-60

二、悪念のもたらす危険を思惟する

《除妄念経》の中で、仏陀はまた以下のように言った:

「当他注意与善法相関的其他対象時、如果貪、瞋、痴的

邪悪念頭乃然在他的心中生起、他応当思惟這些悪念所帯来的危険:

『這些念頭是邪悪不善的、是応該指摘的、它們会導至痛苦的果報。』

当他思惟這些悪念所帯来的危険時、他就能除心中的一切貪、瞋、

痴悪念、使悪念止息下去。

由於除了悪念、他的心得以向内穏定、平静、専注、一心。就好像

喜歓打扮的青春少男或少女、如果有人把蛇的死体、狗的死体、

或人的死体掛在他的脖子上、他会感到恐怖、恥辱、嫌悪;同様地、

当比丘思惟這些悪念所帯来的危険時・・・他的心得以向内穏定、

平静、専注、一心。」

上記の経文について、註疏は、以下のように解説している:

誰かの家に恨みを持つ人が、死体を持ってきて、ある人の首にかけた時、

掛けられた人は非常に驚く。同様に、もし修行者が、色々な方法を用いて、

これらの悪念は責められるべきものであり、痛苦の源であると、理知的に

思惟する事ができたならば、彼は心の中の悪念を取り除く事ができる。

これらの悪念は、責められるべきものであり、痛苦の源でもある:

というのも、それらは不如理作意を通して生起するものであり、

如理作意と対立するものであり、それらは世俗の貪欲という病によって

不健全となり、それらは智者の非難する所であり、それらは厭わしい

ものであり、それらは苦しみの結果をもたらすものであり、それらの

本質において、何らの楽しさをももたらすものではないから、である。

しかしながら、自分自身で如理に思惟する事ができない人は、自分の

導師に会いに行き、導師に対して、自分が修行上で会っている困惑

について、報告しなければならない。

または、自分の戒師、徳行のある兄弟弟子、サンガの中の長老に

応援を求めなければならない。

というのも、多くの比丘が集まる集会においては、必ず多聞の比丘が

いて、困惑している比丘に対して:「あなたはこのように、悪念の禍

を理解しなければならない。」と解説してくれるし、また、彼は

身体に対する貪愛を取り除く件に関する談話をする事を通して、

困惑を覚えている比丘の悪念を制止する事ができるからである。

以上が、註疏における解釈である。

(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)