Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー16

この点に関して、我々は知っておかねば

ならないことがある。

人類は、その始まりからして、一歩一歩

よりよいものを追及してきて、最も完成度

の高い本能にまで、到達した。

そしてその次に、一つの問題が発生した。

いったい何が、最も完成度の高い、

またはきわめて安楽な状態、境地で

あるのか?という疑問である。

当時、この問題に適切な回答をできる人、

またはこの問題に関して指導ができる人を、

人々は「大師」と呼んだ。

このような状況の中で、ある種の大師は、

物質主義の傾向を持ち、自己の心の欲する

ままの境地を追い求め、その結果、人々の

欲求を満足させることのできる天堂ママ

(=天国)観が生じた。

この種の天堂は、神祇または上帝によって

創造される。

その他に、ある種の宗教の大師は、

天堂を永生ママ(=永遠の命)または

不朽の境地とみなし、かつ、人々にこの

種の観念を指導・教示した。

その後、更に深く思考し、教育が深まった

結果、精神の次元を重視する大師は、

もっとも大きな安楽、もっとも良好な

心霊ママ(=心、精神、霊魂)の境地とは、

かならずや智慧があり、かつ干渉を

受けたりせず、汚染もなく、愚昧さ

持たない心霊である必要がある、とした。

これらの宗教の大師の中で、発見された

智慧のレベルは、それぞれに異なっていて、

あるものは高く超越しており、

あるものは低い。

しかし、彼らの心霊の浄化の程度が

如何に高くとも、多くの人々は依然として、

「自我」はあるのだと感じており、

または「自我」の楽しさを認識して

るものである。

最後に、仏陀は、究極的な真理を

発見した:

ただ心霊が「自我」の観念に執着しない

ときにだけ、それどころか、清浄にも

執着しない時にだけ、(+心霊は)

最も穏やかで、最も純潔で、苦痛なる

境地から解脱できるのだ、とした。

心霊が、ものごとの中に「自我」を意識

する時、「自我」に執着する。

その時、心ママは解脱することができない。

このことは、後ほど、更に詳細に検討する。

(これは非常に長い命題になるため、

読者は、この章の重点をしっかりと

記憶していただきたい。そうでなければ、

混乱してしまう上に、何等の利益も受け取る

ことができないだろう。)

(+ )(= )訳者。(つづく)

訳者コメント:この種の翻訳をしていて、

一番困るのは、精神的な領域に属する

宗教用語を意訳してよいかどうか、

である。

翻訳者が深く考えずに意訳した所、

別の章で、その言葉が全く別の意味を

もって立ち現われてくるのを発見して、

茫然とすることがある。

そのため、ブッダダーサ尊者の「無我」

の翻訳においては、なるべく意訳を避け

訳的手法を採用し、読者の理解を助ける

ために、(= )でその意味を補足

した。

ブッダダーサ尊者は本書で<心霊>という

言葉と、<心>という言葉を使い分けて

いるようだ。これらを混同すると、

後半になって(解説が佳境に入る頃)、

翻訳者は往々にして、途方にくれる

ことになる。

昔、チベットで経典を翻訳する時、

意訳した者は王に首を刎ねられた

そうだが、ことほどさように、

仏教書の翻訳は命が縮む(苦笑)

★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>