《法句(+経)》第165偈で、以下のように言う:
”悪をなすのは、真に己自身による、
汚れることもまた、己自身による。
己自身のみが、悪を為さず、
己自身によってのみ、清浄が得られる。
清浄不清浄は、己自身により、
他人を清められるというような、
そんな人は存在しない。”(2-11 終了)
<3-1>
第二章
第一節 苦聖諦
仏陀の教えは、四聖諦を基本とする。四聖諦の中の第一聖諦は、苦聖諦である。
では、苦とは何か?
ある種の人々は、仏教が苦を取り上げていると聞くと、仏教とは、苦の宗教だと思い、それは消極的で、悲観的な宗教だ、という。しかし、実際は、ここで言う所の苦は、一般の人々が言う所の苦痛の苦ではない。
それではそれはどういう意味なのであろうか?
苦、ここでは、特に生命の現象について述べているのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(3-2につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>