Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「身念処」1-15

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

彼が教えたのは、八聖道の中の戒・定・慧(認知・認識を明らかにする事)である。

なぜ、八聖道の中の戒・定・慧である、と言うのか?

というのも、八聖道の中の戒・定・慧は、中道法であり、中道は、四聖諦を成就するのに、どうしても具備しておかねばならない道具であるから、である。

八聖道を中道と呼び、かつ「唯一の道」と呼ぶのは、それは、四聖諦に到達して、苦を滅し除くことができるから、である。

中道の意味は、欲楽と苦行の二つの極端な行為を避ける事で、これは仏陀が、当時のバラモン教の修行者の内から学んだ事である。

これらバラモンの修行者は:

自我によって(=己自ら)苦行に取り組めば、貪愛を取り除く事が出来、自我によって(=己自ら)放縦であれば、瞋恚を取り除くことができる、と考えていたが、中道もまた、貪と瞋を避ける、という意味合いを持つものである。

四聖諦を体験・証悟する事に、どのような利益があるのか?

その利益とは、すなわち、苦の滅である。

苦の滅は、涅槃を所縁とする道刹那において発生するが、この道刹那が生起する時、残余の煩悩を断じ除いて、苦を滅するのである(第四道果)。

涅槃は、非常に快楽(=楽しい)である。というのも、二度と再び、生死輪廻しないが故に。

あなたが言う所の非常に楽しい、の意味は何であるか?

この種の楽しさは、永遠に苦へと変化しない楽で、世俗の楽とは異なっている。

故に、仏陀は言う「涅槃は非常に快楽(=楽しい)である」と。

なぜ、快楽が生起するのか?

というのも、涅槃は五蘊に属していないからである。

五蘊は、真正なる苦である(苦諦)。

もし、あなたに五蘊がないならば、苦を受けることはないーーたとえば、老、病、死、悲しみ、憂いなど等を。

これが、涅槃がなぜ楽しいのかという理由であり、それは世俗の楽のように、苦・楽が半々、ないまぜになったものとは異なり、涅槃は、仏法の中において、最高の善なる法なのである。

(1-16につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>