「身念処」1-15
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
彼が教えたのは、八聖道の中の戒・定・慧(認知・認識を明らかにする事)である。
なぜ、八聖道の中の戒・定・慧である、と言うのか?
というのも、八聖道の中の戒・定・慧は、中道法であり、中道は、四聖諦を成就するのに、どうしても具備しておかねばならない道具であるから、である。
八聖道を中道と呼び、かつ「唯一の道」と呼ぶのは、それは、四聖諦に到達して、苦を滅し除くことができるから、である。
中道の意味は、欲楽と苦行の二つの極端な行為を避ける事で、これは仏陀が、当時のバラモン教の修行者の内から学んだ事である。
これらバラモンの修行者は:
自我によって(=己自ら)苦行に取り組めば、貪愛を取り除く事が出来、自我によって(=己自ら)放縦であれば、瞋恚を取り除くことができる、と考えていたが、中道もまた、貪と瞋を避ける、という意味合いを持つものである。
四聖諦を体験・証悟する事に、どのような利益があるのか?
その利益とは、すなわち、苦の滅である。
苦の滅は、涅槃を所縁とする道刹那において発生するが、この道刹那が生起する時、残余の煩悩を断じ除いて、苦を滅するのである(第四道果)。
涅槃は、非常に快楽(=楽しい)である。というのも、二度と再び、生死輪廻しないが故に。
あなたが言う所の非常に楽しい、の意味は何であるか?
この種の楽しさは、永遠に苦へと変化しない楽で、世俗の楽とは異なっている。
故に、仏陀は言う「涅槃は非常に快楽(=楽しい)である」と。
なぜ、快楽が生起するのか?
というのも、涅槃は五蘊に属していないからである。
五蘊は、真正なる苦である(苦諦)。
もし、あなたに五蘊がないならば、苦を受けることはないーーたとえば、老、病、死、悲しみ、憂いなど等を。
これが、涅槃がなぜ楽しいのかという理由であり、それは世俗の楽のように、苦・楽が半々、ないまぜになったものとは異なり、涅槃は、仏法の中において、最高の善なる法なのである。
(1-16につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>