「身念処」1-45(40/203)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-4-7 道諦(第四聖諦)
道諦は、苦の滅へと、導き至る事のできる八聖道の事で、「Magga」は、道という意味である。
それは、涅槃へ通じる道であり、涅槃は、苦痛を滅し除く法(=方法)である。
八聖道を奉じるならば、ただ一つの方法しかない。それは四念処であるーー四念処は、37道品の初歩であり、清浄に導き、煩悩を断じ除く事ができる。
八聖道は、戒・定・慧によって構成されており、苦を滅する唯一の道である。
八聖道
慧(般若):
1)正見:
四聖諦を体験・証悟する事がすなわち、実相(本来の面目)を体験・証悟する事である。
世間法で言えば、心身は心の所縁であり;
出世間で言えば、涅槃は心の所縁である。
2)正志(正思惟):
その含まれる範囲はーー出離(無我)、無瞋と無害である。
正志の作用は非常に重要であり、四念処を修する時、それは正念と正知が、正しく運用されるように支援する事ができる。
戒(シーラ):
3)正語:
妄語を言わない、綺語を言わない、両舌を言わない、悪口しない。(貪、瞋、痴は、三悪根であり、もし、正志があれば、その時、三悪根は、ない)。
4)正業:
戒律ーーたとえば、生き物を傷つけたり、命を害したりしない(正志があるという事は、すなわち、正業である)。
5)正命:
他人を害する仕事に従事しない。たとえば、軍事的武器などの販売をしない等。(飢餓を救うために、物を食べるのは、ある種の正命である。)
定(サマーディ):
6)正精進:
四正勤によって煩悩を断じ除く。
四正勤(1-3-2節参照)は、定と慧の生起を助ける事ができる。
7)正念:
四念処における念住(=念が留まる事、心の所縁を忘れない事)を指す。正精進によって、正念を育成しなければならない。
8)正定:
四念処に関して言えば、正定は、心一境性または<今・ここ>において、専注を保持する事を指す。
正精進と正念でもって、正定を補助・支援する。
もし、正しく正定に到達したいのであれば、四組の念処(身、受、心、法)を所縁としなければならない。
我々が「道」という時、その意義はどこに存在するのか?
それはすなわち、開悟に至る唯一の道であるが故に。
この「道」は、八つの項目を含んでいる。
故に、八聖道とは、八種類の成分が含まれる薬のようであり、一度に(+全部を)飲まなければならない。
八聖道は、仏陀が発見したもので、彼以前には、人に知られていなかったものである。
八聖道は、中道法であり、中道法は、無明を破る事ができる。
無明が完全に破られた時、それは四聖諦を体験・証悟したのだ、と言える。
八聖道は、実際には、八つの心所があり、それは無我または(+無)霊魂、非男、または非女である。
それは実相(自然の真実の状態)であり、故に、苦諦を知る者はおらず、集諦を断ずる人はおらず、滅諦を証得する人はおらず、道諦を実践する人はいない(補注:苦はあるが、苦を受ける者というのはおらず、為すという事はあるが、為す者の存在はなく、滅はあるが、入滅する者はおらず、道はあるが、道を行く者はいない。(《清浄道論》)
(1-46につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>