2018-11-01から1日間の記事一覧
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に、まさに上に述べた《大六処経》の様に、仏陀は己自身自ら証悟した智でもって修習するのは止(samatha)と観(vipassanā)であると強調しているのであるから、我々は、八支聖道とは、止と観であると知ること…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 修行者: 私たちは無意識における習慣的な心で、何事かを為します。 禅の修行における心は、新しい習慣を学ぶよう努力します。 この二者は矛盾があり、衝突します。 一心に専注する以外に、この矛盾・衝突を解決…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (P15,16 ) 禅師: あなたは、覚知(=awareness。以下同様)のある状態と覚知のない状態の、二者の区別が、分かっていますか? 修行者: 私は覚知のある時は、何が生じているかを知っていて、どのように処理す…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 苦の滅に導き至る道聖諦は修習されなければならない 苦の滅に導き至る道聖諦とは、すなわち八支聖道(aṭṭhaṅgika ariyamagga)である: 1、正見(sammā-diṭṭhi) 2、正思惟(sammmā-saṅkappa) 3、正語(sammmā-v…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”比丘たちよ。 苦滅聖諦とは何であるか? 無明滅するが故に行滅し、 行滅するが故に識滅し、 識滅するが故に名色滅し、 名色滅するが故に六処滅し、 六処滅するが故に触滅し、 触滅するが故に受滅し、 受滅するが…