<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
次に、まさに上に述べた《大六処経》の様に、仏陀は己自身自ら証悟した智でもって修習するのは止(samatha)と観(vipassanā)であると強調しているのであるから、我々は、八支聖道とは、止と観であると知ることができる。
己自身自ら証した智でもって止と観の修習をすれば、己自身自ら証した智でもって五取蘊を遍知することができる;
己自身自ら証した智でもって五取蘊を遍知したならば、己自身自ら証した智でもって、無明と愛を断じ除くことができる。
そして、また、己自身自ら証した智でもって涅槃を証悟する事もできるし、かつ、己自身自ら証した智でもって、四聖道及びその相応する果を証悟することもできる――入流果(sotāpatti)、一来(sakadāgamī)、不来(anāgamī)と阿羅漢果(arahatta-magga-phala)。
こうしたことから、仏陀は《楼閣經》において、以下の様に述べる:
”比丘たちよ。
もし、ある人がこの様に言う:
’私は苦の滅に導き至る道聖諦を証悟しなくても、完全に苦から離れることができる’ このような事は起こり得ない!”
(3-12につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
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<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>