<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
禅修行者:
あなたは禅の修行者に、己自身の体験は、単なる ”自然なるもの” に過ぎないと説明し、また、その様に励まします。
どうしてあなたは、”これら一切は自然現象である” と
言い ”無我”であると、言わないのですか?
禅師:
”無我” という言葉は、非常に誤解されています。人々は常々、無我とは、自分がいない事だと誤解し、その結果 ”無我” は一つの概念になってしまいました。
実際には、元より我というのはありません、かつて一度も存在した事もありません!
故に、己自身の体験を ”これら一切は皆自然現象である” と見做すのがよいのです。
これら現象が生起するには、生起するための因と縁があり、この角度から物事を見るのを、正見と言う。
そして、それらの因と縁が、ある種の結果を導いて来る事を観察して、その内には因と縁しかない事を理解し、その中には ”我” は関与していない事が分かる事、すなわち、因縁法を理解すれば無我とは何であるかも、理解することができるのです。
(Dにつづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<《Awereness Alone is not Enough》より改題 / 抜粋翻訳
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>