《清浄道論》では、三種類の貪愛を、以下のように説明している:
1.欲愛(kāma-taṇhā):
欲望に基づいて色(=身体・物質)、音、香り、味、触、法六塵(法塵は、五種類の浄色、16種類の微細色、心、心所及び概念法、たとえば、安般禅相、遍禅相等を含む。心と心所は名法で、ジャーナ法を含む)を貪愛する事。
2.有愛(bhava-taṇhā):
常見に伴って生起する貪愛。常見(sassata-diṭṭhi)とは、すべての六塵またはどれか一つの塵は、霊魂であって、世々代々存在していると考える事。
3.非有愛(vibhava-taṇhā):
断見に伴って生起する貪愛。断見(uccheda-diṭṭhi)とは、すべての六塵は霊魂であって、人が死亡すると、完全に壊滅するという考え。
ここにご在席のみなさんは、集諦は苦諦の原因であることを、忘れないで頂きたい。
この経の中で、仏陀は以下のように指導している;
「簡単に言えば、五取蘊は苦である。」
集諦は、五取蘊の生起する原因である。
みなさんには、この種の因果関係を覚えておいて頂きたい。
苦諦法と集諦法は、観智の目標である。
故に、みなさんは、観禅を修行する必要があるが、その前に、それらを徹底的に知っておかなければならないのである。
どのように実践するのか?
以下において、私はそれを、詳細に説明する予定である。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-20につづく)
★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。
ご協力、よろしくお願いいたします。
<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>