Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-8

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

了解你自己、接受自己的錯誤、

(己自身を理解して、己の間違いを受け入れて)

然後努力改過。

(その後に努めて間違いを改める)

対自己不要有所隠瞞、

(己自身に隠すところなく)

最重要的是、不要欺騙自己。

(最も重要なのは、己自身を騙さないこと)

如果你要的話、可以欺騙整個世界、

(あなたがそうしたければ、あなたは世界全体を騙してもよいが)。

但是、絶対不要欺騙你自己。

(しかし、決して己自身を騙してはならない)

戦士のような無畏なる精神

毎年訪れる灼熱の乾季、しばしば、雲遊の頭陀僧が卉晒村を通り、辺鄙な場所を見つけて、禅の修行をした。

その付近の、村を囲む森と高山を、人々は恐れていた。そこは、野生動物が横行し、険悪な野蛮地帯であり、この区域全体は、悪魔によって管理されている、と言われていた。

人々が恐れて、中に入らない為に、この大きな森林は、辺鄙で静かであり、遊行僧にとって、ここで苦行し、禅の修行をすることは、非常に適切であった。

出離、克己と遁世の頭陀僧は、通常、人のいない山道を遊行し、荒野をさまよい、修行して煩悩を滅し去るのに適する場所をーー山の峰、洞穴または懸崖などーーを探し出して、心身を落ち着かせることが多い。

頭陀僧は戸外で生活し、自然の環境と、変幻して予測することの出来ない天候の下で、日を過ごす。

彼らは、大自然の中に溶け込み、日々、豊かな自然環境の中で生活する:岩石と樹木;河川と渓水;虎、蛇、象や熊(+のいる所で)。

通常彼らは、森の縁辺にある小さな村々を托鉢して、命を繋ぐ。

普泰族と頭陀僧は、固く結ばれた縁がある。それは、彼らの、あの戦士のような、勇敢で無畏の精神において、好漢は好漢を知るの感があるが故に、頭陀僧の生活方式は、普泰族の人々にとって、非常に容易に受け入れられるものであった。

達白の父親は、特に森林僧が好きで、彼は讃嘆の微笑を見せて、彼らの事を ”本物の仏弟子” と称した。

森林僧が見えると、彼は大変に意気込んで、子供のような情熱で、彼らを接待した。

1914年、人格高潔にして名声高い頭陀僧アチャン(=アーチャンとも言う)サオの到来は、卉晒村の信仰を、根本から変えることになった。

アチャン・サオと一群の弟子は、ある日突然、卉晒村にやってきたが、彼らは非常に遠くの地方から、何か月も遊行して、ようやくここに到着したのであった。

彼らは、ラオスからメコン川を渡り、シャムのナコンパノンに来て、その後に色軍府東部の山々を踏み越えて、最後に磐山の荒野を渡って、ここ莫拉限に到達したのであった。

(3-9につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>