<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
了解你自己、接受自己的錯誤、
(己自身を理解して、己の間違いを受け入れて)
然後努力改過。
(その後に努めて間違いを改める)
対自己不要有所隠瞞、
(己自身に隠すところなく)
最重要的是、不要欺騙自己。
(最も重要なのは、己自身を騙さないこと)
如果你要的話、可以欺騙整個世界、
(あなたがそうしたければ、あなたは世界全体を騙してもよいが)。
但是、絶対不要欺騙你自己。
(しかし、決して己自身を騙してはならない)
戦士のような無畏なる精神
毎年訪れる灼熱の乾季、しばしば、雲遊の頭陀僧が卉晒村を通り、辺鄙な場所を見つけて、禅の修行をした。
その付近の、村を囲む森と高山を、人々は恐れていた。そこは、野生動物が横行し、険悪な野蛮地帯であり、この区域全体は、悪魔によって管理されている、と言われていた。
人々が恐れて、中に入らない為に、この大きな森林は、辺鄙で静かであり、遊行僧にとって、ここで苦行し、禅の修行をすることは、非常に適切であった。
出離、克己と遁世の頭陀僧は、通常、人のいない山道を遊行し、荒野をさまよい、修行して煩悩を滅し去るのに適する場所をーー山の峰、洞穴または懸崖などーーを探し出して、心身を落ち着かせることが多い。
頭陀僧は戸外で生活し、自然の環境と、変幻して予測することの出来ない天候の下で、日を過ごす。
彼らは、大自然の中に溶け込み、日々、豊かな自然環境の中で生活する:岩石と樹木;河川と渓水;虎、蛇、象や熊(+のいる所で)。
通常彼らは、森の縁辺にある小さな村々を托鉢して、命を繋ぐ。
普泰族と頭陀僧は、固く結ばれた縁がある。それは、彼らの、あの戦士のような、勇敢で無畏の精神において、好漢は好漢を知るの感があるが故に、頭陀僧の生活方式は、普泰族の人々にとって、非常に容易に受け入れられるものであった。
達白の父親は、特に森林僧が好きで、彼は讃嘆の微笑を見せて、彼らの事を ”本物の仏弟子” と称した。
森林僧が見えると、彼は大変に意気込んで、子供のような情熱で、彼らを接待した。
1914年、人格高潔にして名声高い頭陀僧アチャン(=アーチャンとも言う)サオの到来は、卉晒村の信仰を、根本から変えることになった。
アチャン・サオと一群の弟子は、ある日突然、卉晒村にやってきたが、彼らは非常に遠くの地方から、何か月も遊行して、ようやくここに到着したのであった。
彼らは、ラオスからメコン川を渡り、シャムのナコンパノンに来て、その後に色軍府東部の山々を踏み越えて、最後に磐山の荒野を渡って、ここ莫拉限に到達したのであった。
(3-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>