Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5‐14

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

この慣性・習慣は、彼女の性格から来ていたが、以前には、全く気が付いていなかった。

今、心の根本・・・寂静・清明・明晰に処していた為に、この外に流れようとする意識が、突然、明確に感じ取れたのである。

彼女は、この外へ流れ出ようとする勢力に迫られて、それに抵抗した。この、習慣となってしまっていた、己の意識流を逆転させて、覚知を安定的に、心中において、保持しようとしたのである。

彼女は、アチャン・マハブーワを、彼の厳しい警告を思い出し、アチャン・マハブーワが正しかった事を認めた。

かくて、彼女は、改めて心の力を高め、離れ去ろうとしている心の勢いを、正しいレールに引き戻した。

その後の何日か、メーチ・ケーウは、覚知を安定的に、己の内部に留めておけるよう、有効な方法を探し求めた。

最後に、彼女はその秘訣・奥義を見つけることができた。

深い定から出てきた心識が、外へ向かって流れだす問題を、彼女は解決した。

彼女は、注意力を外部へ引っ張って行こうとする、あの心の衝動を、押しとどめる事が、出来るようになったのである。

心識が外へ流れる時、必ず、想いとイメージの動きが、随伴している。

この旋回して流動する意識が、有情の世間全体を作り出し、この世間の存在を、維持しているのであった。

一念さえも生じない時、自然にまかせて運行される所の覚知が、生起する。

この、<今・ここ>の覚知は、純粋な注意力であり、機敏で自在であり、心身の制限ーー名・色の幻像によるコントロールーーを受けなかった。

以前、サマーディから出て来ると、各種の映像が、空(=空間)に依拠して、彼女の知覚の中に現れ、彼女の心を、それらと随伴するように誘惑したが、拒絶しようとしても、それは全くもって、出来がたく、それらに随伴する事が、とても利益があるようにさえ、思えた。

自然に運用される覚知が、心の合一した所の境界から生起した今、彼女は執着を離れ、心の汚染を離れ、各種の想いとイメージが、念々相続して、生起しては滅しさるのを、観察することができた。

専注する意識が、かくも重大な変化を見せた時、彼女は、真正、高明な師の下において参学する事の意義を、見て取った。

彼女は、強くて力のある意識流を、善く巧みに転換させ得る事、それと合一して、かつ、それを<今・ここ>に安住せしめ得る事を確信したので、恥じを承知で、ノックアン洞に行って、アチャン・マハブーワに会い、己の禅修行の進展を報告したいと思った。

洞に到着すると、アチャン・マハブーワは、厳粛に、かつ顔をこわばらて立っているのが、見えた。

”お前は何をしに来たのだ?”

彼は厳しい声で、言った。

”私は、お前に、ここから去れ、と言ったはずだ。

ここは、お前のような、愚かな輩が来る所ではない!”

(5-15につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>