「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-15
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
メーチ・ケーウは、とりあえず彼女の話を聞いて貰えないかと懇願し、ここを追い出された日に立った波と風は、彼女の心を痛ませ、それゆえに反省もし、その後に、己の過誤をよく観察し、その結果、彼の指導を真剣に受け入れて、己の内部に専注した経緯を、説明した。
そして、自分は、己の禅修行の方法を変更し、如何にして、心をして、執着なくして、<今・ここ>に保持せしめるかを学んだか、を述べた。
彼女は以前、外境に惑わされて、邪見を宝物と思いなしたが、今、彼女ははっきりと、そのような修行は、徒労である事に気が付いた。
この何日間か、彼女は専心して、己の意識が、強い力で外へ向かおうとするのを、どのようにコントロールするのかを研究し、今では、それを己の中心に安定的に安住させる事に、成功した。
彼女には一種の、物事を成就した喜びが感じられ、謝恩の心を抱いて、師に礼拝し、また、謙虚な態度で、彼に許しを乞うた。
禅者だけが、真正に、修行の道を理解する事ができる。しかし、正確な禅法の習得は、良き師が必要かつ不可欠である。
禅修行の指導者は、いかなる微細な過失も犯すことは出来ない・・・特に、学生が、高くて深い境界にまで到達した時は、尚更である。
師は、学生より更に多くを知っておらねば、学生を信服させる事はできない。
また、己がいまだ修証していない仏法を、教えてはならない。そのようにすると、学生を支援する事が、できないが故に。
もし、師が、己の証得した体験と、内観の智慧でもって指導するならば、利根の学生は、菩提の道において、非常に速く進歩する事ができる。
(5-16につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>