南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-15

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウは、とりあえず彼女の話を聞いて貰えないかと懇願し、ここを追い出された日に立った波と風は、彼女の心を痛ませ、それゆえに反省もし、その後に、己の過誤をよく観察し、その結果、彼の指導を真剣に受け入れて、己の内部に専注した経緯を、説明した。

そして、自分は、己の禅修行の方法を変更し、如何にして、心をして、執着なくして、<今・ここ>に保持せしめるかを学んだか、を述べた。

彼女は以前、外境に惑わされて、邪見を宝物と思いなしたが、今、彼女ははっきりと、そのような修行は、徒労である事に気が付いた。

この何日間か、彼女は専心して、己の意識が、強い力で外へ向かおうとするのを、どのようにコントロールするのかを研究し、今では、それを己の中心に安定的に安住させる事に、成功した。

彼女には一種の、物事を成就した喜びが感じられ、謝恩の心を抱いて、師に礼拝し、また、謙虚な態度で、彼に許しを乞うた。

禅者だけが、真正に、修行の道を理解する事ができる。しかし、正確な禅法の習得は、良き師が必要かつ不可欠である。

禅修行の指導者は、いかなる微細な過失も犯すことは出来ない・・・特に、学生が、高くて深い境界にまで到達した時は、尚更である。

師は、学生より更に多くを知っておらねば、学生を信服させる事はできない。

また、己がいまだ修証していない仏法を、教えてはならない。そのようにすると、学生を支援する事が、できないが故に。

もし、師が、己の証得した体験と、内観の智慧でもって指導するならば、利根の学生は、菩提の道において、非常に速く進歩する事ができる。

(5-16につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>