Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

究極的な危険が、その時、そこにあった。

究極的な危険な<点>とは、世間的実体の全体を創造する所の、光明の核心であった。

私は、永遠に忘れない。

あれは二月のことで、アチャン・マンの遺体が、荼毘に付されたばかりの頃であった。

私は山に入ったが、この部分が瓶首となって、(+修行が)行き詰まってしまったのである。

それは徹底的に、私を惑わした。

私は心内に浮かんだ、あの法語から、何かを得ることもなかった。

それは、強大な恩恵を施してくれることもなかったし、却って、私を苛む巨大な虚妄の一部分となった。

私は混乱した:

”この点は何だ?”

それは当然の如くに、あの光明の点であったのではあるが、しかし、私はこれまで光明の中心が、高度の危険性を持つものだ、という事を予期した事がなかった為に、私は久しく、それをば、究極の功徳だ、と思いなしていたのである!

煩悩は、このようにして、私をば、騙したのである。

私は、それが極めて危険であるという、警告は受けていたのではあるが、しかし、それは、なお、私をば呪詛して、私を惑乱し、私をして、あれは究極の功徳であると、信じせしめたのである。

私は、この矛盾が、如何に私を苦しめたかを、決して忘れることはない。

その後、私は山寺を下りて、スリ・チェンマイ県の瓢村(Ban Pheu)地区に行き、森林の奥にある Pha Dak という洞窟に住んだ。

ここには三か月程いたが、その後、心内に、いまだ解決できない所の、重苦しい迷いを抱いたまま、元の山寺に戻った。

最後に、この山の背に住んでいる時に、問題はようやく、解決したのである。

(2-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>