<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏陀の四道心は、一切智智と相応する所の、四道心である。
「一切智智」の意味は:
すべての法門を知っている智慧を言う。
例えば、どの様な人間であっても、仏陀の前に立てば、仏陀は、彼の身体の体毛の事まで知って、過去のどの一世で、どの様な善業を主になしたか(そのせいで、身体がこの様な様子である事)を知っている;
どの眉毛は、いつの過去世において、どの様な悪業をしたために(その様になっている)のかを知っている;
どの頭髪、どの爪、どの部分の皮膚は、どの過去世の善業悪業のため(その様になっている)であるかを、知っている。
この衆生は、いつから輪廻を始め、何時解脱するか;
彼にはどの様な命があるか、どの様な親戚友人があるか、どの様な生活か、仏陀はすべて明確に知る事ができる。
すべての阿僧祇の衆生、すべての阿僧祇の宇宙、すべての法門は、みな明確に知る事ができる。
この様であって初めて、「一切智智」であると言える。
一切智智の智慧は、一般の人々が及ぶものではない。智慧第一のシャーリプトラ尊者の智慧は、この地球に、どれほどの雨の粒があるかを知る事ができる;
仏陀の智慧は、すべての阿僧祇の宇宙に、どれだけの雨が降ったのかを、知る事ができる。
あなた方の、また、我々の大腸と小腸の中には、過去のどれか一世の善業、または悪業が原因で、腸の中にどれほどの虫がいるか、腸がどの様に変化するか、仏陀の一切智智の智慧は、それを明確に知る事ができる。
これは一般の人々が、及ぶことのできない智慧である。
こうしたことから、仏陀は一人ひとりの衆生に合う(+修行の)方法を知っている。
例えば、仏陀は、五比丘は《無我經》が合う事を知っていて、仏陀は、彼らに特別に《無我經》を開示したのである。
(49につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>