Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-39

三、安止定

安止定の段階においては、心は修行の目標(似相)に融入し、まったく雑念もないし、無理な努力も無用となる。

初めて安止定の境地に入る段階では、この種の境地は、一秒間だけしか持続しないかもしれない。不断の練習を重ねれば、この種の境地が持続する時間は、徐々に長くなる。

初心者で言えば、(+修行に)精通していないがために、一回の静坐の内に近行定と安止定が混在して、発生するかもしれない。

我々は、別の機会(次の版で)に近行定と安止定について、詳しく研究したいと思う。

◆結論:

(一)定の強度で分類すると、定には三種類ある:それは予備定、近行定、安止定である。

(二)予備定のレベルにおいて、修行者は四種類の段階を体験する:

1、<今・ここ>を覚知する段階。

2、平静を覚知する段階。

3、修行の目標を自然に覚知する段階。

4、成熟した予備定の段階。

(三)成熟した予備定の段階とは、近行定に向かう段階である。

(四)近行定の進展を体験することを通して、修行者は安止定に入ることができる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-40につづく)

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ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-38

二、近行定

それを「近行定」と呼ぶのは、それが止禅に向かう入り口であり、また観禅への入り口でもあるからである。

それが観禅の修行に用いられるとき、伝統的に、それは「刹那定」と呼ばれる。

この段階の特徴、それは、元々の相に専注するかまたは(ある種の業処について言えば)似相という一種の安定した定に専注する事である。

この段階において、修行者は、己の内部または周辺で起きている事柄を知っているが、しかし、影響を受ける事はなくなる。

ここにおいて、修行者は、引き続き、止禅を修行するのか、観禅の修行に変更するのかを、選択することができる。

もし、観禅を修習すると決めたらならば、この段階の定力(近行定または刹那定)は、一切の現象と過程(一切の有為法)に対する正念による観照の修行に用いることができ、それによって、生命の本質に対する更に緻密な、更に完全な、更に直接的な覚知を育成するのである。

もし、引き続き止禅を修習するのだと決めたならば、この段階の定力を、強化また純化する事を通して、修行者は最終的に、安止定(ジャーナ)を証す得ることができる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-39につづく)

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-37

(四)先に述べた段階(No1-36)が、更に発展して成熟する時、修行者は、予備定の最高潮に到達する。この段階になると、ある程度の長い時間、自然に目標を覚知することができ、何等の干渉を受けなくなる。

通常、この段階では、(+心の)境地はますます微細になる。

我々の心がますます熟練する時、それは、思索することなく作用する。

心は、直覚的に、修行の目標を覚知する。

というのも、この段階での目標は、すでに微細になりすぎていて、粗い心念(=心の働き)では、それを覚知する事はできないからである。

ちょうど、何かの球技をやっている時、相当程度のレベルに到達している場合、あなたは思索することなく、球を打つことができる;

反対に、あなたは思索するやいなや、球は却って、打てなくなってしまうのである。

故に、知っておかねばならないのは、あなたが目標を直覚的に覚知するならば、あなたは正しい道を歩いている、という事である。

この段階を「成熟した予備定の段階」と言い、最終的には、近行定にまで発展する(+ことができる。)

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-38につづく)

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-36

(三)もし、修行を毎日、継続することができるならば、この平静な覚知・感覚は、ますます強くなり、修行の目標もまた、ますますはっきりとしてくる。

修行者もまた、ますます、修行の目標を覚知できるようになる。

この段階を「修行の目標を自然に覚知する段階」と言う。

この段階において、あなたは、非常に長い時間、修行の目標(たとえば、呼吸)に専注したとしても、そのことが原因で、頭痛を引き起こしたりはしない。

というのも、あなたは、あなたの心に対して、何等の無理強いもすることがないし、あなたは、あなたの目標を、きつく掴んでおくという事も、しないが故に。

この時、目標を覚知する事は、まるであなたの第二の天性(前からの習慣)のようになっている。

それはちょうど、あなたが自分の部屋に入る時に、いちいち「私は今、部屋に入る」「私は今、部屋から出る」などと考えない事と、同じである。

実際、あなたの心は、このようにすることに非常に熟練していて、自然に習慣化しているものである。

故に、我々は、この段階を「修行の目標を自然に覚知する段階」と言う。

あなたはますます、心性を育成する、この種の練習に熟練し、熟練すればするほど、無理強いや、わざとらしさは消えていくのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-37につづく)

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☆「掌中の葉」(翻訳文)1-35

(二)修行者の心がますます、<今・ここ>の境地に安住する時、彼は、自然に、ますます多くの心内の平和を経験する。

それがたとえ、心内では、いまだ雑念が生起していたとしても・・・。

この段階を「静かな知覚の段階」と言う。

この静かな知覚(+を知るの)は、非常に重要な段階である。

まさにこの段階において、修行者は、修行を好きになり始めるからである。

修行の時間が長くなくとも、毎回の修行の時に、彼は精神が、元気を回復しているのを感じるようになる(充電している感覚)。

これが、多くの、修行・訓練を体験した政治家、企業家が、忙しい一日を終えた後、安住して精神を回復したいと思う、そういう段階である。

家庭の主婦は、一日中じっとしていない子供の世話をした後、この段階での、安寧とリラックス感を利用することができる。

(+この段階における)修行者は、修行の目標に対して、いまだはっきりと掌握することはできていないであろうと思われる。

しかし、ちょっとした時間を利用して行う静坐は、非常に利益があり、価値があるものなのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-36につづく)

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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-34

予備定を強化する過程において、修行者は、以下のようないくつかの段階を、経験する:

(一)修行者の心が落ち着いてきて、過去と未来の一切の心配事を手放し、純粋に、ただリラックスしている時、彼の心はゆっくりと、ますます静かになり、ますます、<今ここ>の刹那を、覚知することができるようになる。

彼の心が、いまだ、時として雑念が生じるとしても、彼が一たび、雑念を察知するやいなや、ただそっと、心を、定の修習の目標、たとえば、呼吸に、引き戻すだけでよい。

徐々にではあるが、この種の、<今ここ>を覚知する時間は、段々長くなる。

この段階を「<今ここ>を覚知する段階」と言う。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-35につづく)

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☆「掌中の葉」(翻訳文)1-33

定の種類とレベル

問題四:定には、いくつ種類があるか?

回答四:定には、三つの種類がある。

すなわち、予備定(遍作定)、近行定と安止定である。

 

定を修習する時、煩悩の段階的な浄化に伴い、また定力の徐々なる発展に従って、修行者は、三種類の定のレベルを、体験することになる。

言い換えれば、それは、三種類の、強度の異なる定である。

一、予備定(または遍作定)

これは、定の修習に努力を払い始めた時に得る、定力である。

この種の定は、我々の日常生活の中で、何か一つの目標に専注した時、(+人々が)ごく自然に用いている定である。

予備定の強度は人によって異なる。

というのも、一人一人の(+元からある)自然な専注力は、それぞれに、異なるからである。

ある種の人々は、簡単に、また強力に、自分のしている仕事に、専注することができる。

ある種の人々にとっては、何か単一の事柄に心を保持することが非常に難しく、たとえ非常に短い時間であっても、専注できない。

科学的な研究によると、平均的な学生は、毎分の内、6~10秒は、気が散っているそうである。

言い換えれば、6~10秒の間、学生は己の予備定を喪失しているのであり、故に、教師が何を教えているのか、その内容を理解する事が、できないのである。

自分自身の予備定の強度がどうあろうとも、定の修習に関する要領を把握して、継続的に修行において努力する必要がある。

予備定を絶え間なく安定させ、また、予備定を強化させたなら、それは近行定に発展する。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-34につづく)

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