(二)修行者の心がますます、<今・ここ>の境地に安住する時、彼は、自然に、ますます多くの心内の平和を経験する。
それがたとえ、心内では、いまだ雑念が生起していたとしても・・・。
この段階を「静かな知覚の段階」と言う。
この静かな知覚(+を知るの)は、非常に重要な段階である。
まさにこの段階において、修行者は、修行を好きになり始めるからである。
修行の時間が長くなくとも、毎回の修行の時に、彼は精神が、元気を回復しているのを感じるようになる(充電している感覚)。
これが、多くの、修行・訓練を体験した政治家、企業家が、忙しい一日を終えた後、安住して精神を回復したいと思う、そういう段階である。
家庭の主婦は、一日中じっとしていない子供の世話をした後、この段階での、安寧とリラックス感を利用することができる。
(+この段階における)修行者は、修行の目標に対して、いまだはっきりと掌握することはできていないであろうと思われる。
しかし、ちょっとした時間を利用して行う静坐は、非常に利益があり、価値があるものなのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-36につづく)
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>