Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-58

    <Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 

随喜の言葉を述べた後、樹神は言った:

「尊者、あなた様のような聖者に食物を供養した後、あの老婦人は、一切の苦から解脱するでしょう。」

長老は立ちあがって、扉を開けて外を見ると、時刻はいまだ相当に早く、故に彼は、袈裟を着て、鉢を持って、托鉢のために村に入った。

すでに、美味なる食事を準備してあった少女は、戸口に座って思った:

「私のお兄さんは、もうすぐ来るわ。」

長老が到着した時、彼女は長老から鉢を受け取り、バターと砂糖をまぶした乳飯を鉢の中に入れ、その後に、鉢を長老の手に返した。

長老は随喜の言葉「あなたが楽しくあるように願っています」と述べ終わると、そこを去って行った。

少女は立ったまま、彼が立ち去るのを見ていたが、その時、長老の顔は、非常に明るく輝いており、五根は特別に清浄で、顔は柄から離れた、成熟した棕櫚の実のように輝いていた(+のを見た)。

少女の母親が森から帰ってきた時、彼女は訊ねた:

「いとしい娘よ。あなたのお兄さんは来ましたか?」

少女は、すべての事柄を母親に伝えた。

当該の大施主は、子の出家生活が、その日に頂点に到達したことを知り、言った:

「いとしい娘よ。あなたのお兄さんは、仏陀の教えを楽しんでいて、何等の不満もない。」

このように、施主に大果報を齎したいと思惟し、托鉢の食を受け取るに相応しい人になるよう思惟する者には、精進覚支が生起する。

導師の偉大さを思惟する

もし、人が、導師(仏陀)の偉大さを思惟する時、以下のように思う:「私の導師は、確実に偉大であり、私の導師が受胎する時、出家する時、開悟する時、初転法輪の時、双神変を顕現した時、33天から降りてきて、命を懸けて行を行い、大般涅槃された時、一万個の世界は、すべて、震動した。このような偉大な導師の教えの下で出家しているのに、私は怠惰であっていいのだろうか?」と。

この時、精進覚支は生起する。

遺産の殊勝を思惟する

もし、人が遺産の殊勝を思惟する時、以下のように思う:

仏陀が残された信、戒、慙、愧、多聞(究極法とその因を理解、了解する)、捨離と智慧という、この七つの聖なる宝蔵の遺産は、正に殊勝である。怠惰な人はそれを獲得することはできない。ちょうど悪い息子が父母から縁を切られて『これは私たちの息子ではない』と言われ、彼(悪い息子)は、何等の遺産も得ることができないのと同じように、怠惰な人は、聖なる宝蔵の遺産を受け取ることはできない。ただ、精進する人のみが、それらを獲得することができる。」この時、精進覚支は生起する。

(5-59につづく)    

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-57

    <Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>

大友長老は、農夫洞(Kassakaleṇa)に住んでいた。

彼がたびたび出かけて托鉢する村に、一人の年老いた女性信徒がいて、彼を己の息子のように思いなし、彼を支えた。

ある日、彼女は森へ行く準備をしている時、娘に言った:

 

「ここにはよい米、牛乳、バターと砂糖がある。あなたは、この米を用いてご飯を炊き、あなたのお兄さん(+のよう)である大友尊者が来たとき、そのご飯、牛乳、バターと砂糖を全部、彼に供養しなさい。あなたもそのご飯を食べてよいです。私はすでに、おかゆと、昨夜の残り物の冷や飯を食べました。」

「お母さん、あなたは、昼食には、何を食べますか?」

「あなたは、砕けた米と野菜で、酸っぱいおかゆを炊いて、それを私に、残しておいて下さい。」

 

長老が袈裟を着て、洞の入口で鉢の入った袋から鉢を取り出して、まさに托鉢に出かけようとしていた時、天耳通によって、母親と娘との会話が聞こえた。彼は思った:

「あの大施主は、おかゆと昨夜の残り飯を食べ、昼食には酸っぱいおかゆを食べようとし、飯、牛乳、バターと砂糖を私にくれようとしている。彼女は、私から、田畑、食物または衣類を得たいと思っている訳ではなく、ただひたすら、彼女の布施によって、人界、天界及び出世間界の成就を願っている。

私は彼女に、これらの成就を、与えることができるだろうか?

まさにまさに、私は貪欲、怒り、愚かさの含まれた心で、彼女の食べ物を食する訳にはいかない。」

こうして彼は、鉢を鉢の袋へ仕舞い、袈裟の結び目をほどき、托鉢に行くのをやめて、農夫洞に戻った。

彼は鉢を床に置き、袈裟を竿にかけ、座って修行に精進すること決意し、心で想った:

 

「もし、阿羅漢果を証しないのであれば、私はここから、出て行かない!」

これより前に、長らく修行に精進していた長老は、その時、再度、観智を育成し、いまだ食事の時間が来ない前に、阿羅漢果を証悟した。

この漏尽者は、満開の蓮の花のような微笑を浮かべて洞を出た。

この洞の出口の近くの木に住む護法神が、彼に言った:

あなた様に敬礼しますーー至上の聖なる者、

あなた様に敬礼しますーー人の中の至上の者。

あなた様の汚染はすでに滅尽した、

あなた様は応供者(=供養に値する者、阿羅漢)です。(5-58につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-56

    <Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>

鉢で食を受ける(べき)者になる

もし、人が、鉢で食を受ける者になることを思惟するなら、彼は思う:

「あれら、托鉢の食でもって私を支えてくれている人は、私の親戚でもないし、あなたの下僕でもない;彼らが私に美味しい食べ物を布施する時、彼らが、以下のように考えている訳ではない:

『未来において、我々はあなたに依存して、生活しよう』。

彼らが布施する時、彼らの為した善業によって、彼らが、大きな果報を得ることができるようにと、期待している。

また仏陀も、あなたが、必需品を用いて、ただ、身体を太らせ、生活を快適にすることを、許しはしない。

ただ、あなたがそれらを用いて、沙門としての任務を遂行し、生死輪廻を解脱することだけが、許されている。

もし、怠惰に日を送るならば、あなたは、托鉢の食を受けるに相応しくなく、ただ、精進する人のみが、托鉢の食を受け取ることができる。

ちょうど大友長老(Mahāmitta Thera)のように。」そうであれば、精進覚支は生起する。

(5-57につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-55

    <Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 

四悪道の苦の恐ろしさを思惟する

ここにおいて、もし人が以下のように思惟したとする:

「比丘よ、今こそ精進に尽力する時である。

というのも、地獄において、五つの槍で身体を貫かれるなどの極めて大きな苦しみを受ける時;

動物に生まれて、網に捕らわれ、落とし穴に落ち、閉じ込められ、車を引かされ、人に棒や棘の付いた武器でたたかれる時;

餓鬼界に生まれて、両尊仏の間の千千万万年の長期に亘る時間の、飢餓と喉の渇きの攻めに会う時;

起屍アシュラ(Kālakañjika Asira)に生まれ変わり、皮と骨だけの、60 または 80 腕尺(=80個分の腕の長さ)の巨大な身体を擁し、暑い日差しと風に吹かれて苦しむとき、これらの一切の時には、精進覚支を育成することはできない。」と。その時、精進覚支は生起する。

その利益を理解する

もし人が、精進を育成する利益を思惟し、以下のように思惟する:

「怠惰な人は9出世間法を証悟することはできない。ただ、精進する人だけがそれらを証悟することができるーーこれが精進の利益である。」と。

その時、精進覚支は生起する。(5-56につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

是誰庵のひとやすみ~行ってきました

福岡の瞑想会も無事終了し、ちょっと一息(私は主催団体の会員ではないのですが、外野から応援していましたので)。

今日は、以前から参加してみたかった<タデ湿原自然観察会>に行ってきました。

場所は大分県九重の長者原

10時に、長者原ビジターセンターを訪れて、名簿に記帳すると、その後、ボランティアのガイドさんがタデ湿原を案内してくれる、という仕組み。

今日は総勢21人、11人と10人のグループに分かれて、木道を歩きます(御多分に漏れず、女性が多い)。

途中、九重で生まれ育ったガイドさんが、花の名前、木の名前、今は懐かしい昔の農家の習慣等、色々面白く教えてくれます。

本当は、<坊がツル>まで行きたいのですが、登山は若い頃何度か行ったきり、老境に達して、足腰が弱っているので、とりあえずお試しで、タデ湿原の木道 2.5 Km を歩いてみた、という訳です。

それほど疲れる事もなかったので、何度かタデ湿原を歩いてみて、いつか<坊がツル>に登ってみたいな、と思います(ガイドさんの話では、「坊がツルはそれほど遠くない。年寄りでも大丈夫。」という事でした)。。

 

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-54

  <Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>

 8-6-4-1 択法覚支を生起させる七種類の方法

上記以外に、択法覚支を生起させる七種類の方法がある:

1、パーリ聖典に関する意義の問題を考察し、註疏(=注釈)を学習し、疑問について、教えを乞う。

2、清浄なる依処(身体や衣服の清潔など)。

3、五根のバランス。

4、愚かな人から、遠く離れる。

5、智者に親しむ。

6、思惟する時、奥深い智慧の境に、思いを馳せる。

7、択法覚支を育成することを決意する。

 

智者に親しむとは、四聖諦と縁起を、すでに徹底的に知っている聖者と親しむ事。または、すでに、止観禅の修行に成功した智者と、親しむ事を言う。

思惟する時、奥深い智慧の境に思いを馳せるとは、五蘊、12処、18界、四聖諦、縁起を思惟し、また、それを知るには奥深い智慧が必要とされる究極法の本質ーー無常・苦・無我ーーが書かれている経典を示すことを言う。

8-6-4-2 精進覚支を生起させる11種類の方法

精進覚支を生起させる11種類の方法がある:

1、四悪道の苦しみの恐ろしさを思惟する。

2、世間及び出世間を成就する事によって得られる利益を理解する。たとえば、ジャーナ、観智、四聖道智、四聖果智など。

3、実践する道を思惟する:

「私が行く道は、諸々の仏、諸々のパーチェカ仏、諸々の大弟子が実践した、涅槃へ向かう道である。怠惰な者は、この道を行くことはできない」と。

4、施者として、大果報を齎すことを通して、鉢で食物を受けるに相応しい者(=托鉢僧)になる。

5、導師の偉大さを思惟する:

「私の導師は、精進を讃嘆している。

我々に極めて助けになり、利益のある無上の教えに対して、敬意を表するには、かならず修行を通してであり、他の方法で、それに敬意を表することはできない。」

6、遺産の殊勝さを思惟する:

「私が獲得しようとしているのは、正法と呼ばれる巨大な遺産であり、それは、怠惰な者が獲得できないものである。」

7、光明想を通して、また姿勢の転換、露天に行く、または、その他教えられた方法によって、昏沈と睡眠を取り除く。

8、怠惰の人から遠く離れる。

9、精進する者と親しむ。

10、正勤を思惟する。

11、精進覚支を育成すると決意する。

(5-55に続く)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>