Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-13

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

お寺に戻ると、メーチ・ケーウは、皆が自分のことを、心配しているのを知った。

彼女は、先ほど自分の身に起きたばかりの出来事を話すと、メーチ・タン・・・女性出家者の中の上席の者が、メーチ・ケーウを𠮟って言った:

「どうして夫の元へ戻る必要がある?

あなたは自分で、蜂の巣に手を入れてつつき、自分で煩悩を増やしているだけ。

これをよくよく教訓にして、もう火の中に、手を突っ込んだりしない事。

たとえあなた自身は火傷しなくても、あなたの名節は、地に落ちるわよ。」

メーチ・ケーウは、もはやこれまでと、布麻とは一刀両断しようとしたが、何人かの兄たちが、彼女に対して、正式に問題を解決するべきだと主張した。

彼女は兄たちの意見を受け入れ、何日かの後に家に戻り、婚姻関係をどのように幕引きするのかを、布麻と相談した。

布麻は一切の妥協の余地なく、結婚した後に築いたすべての財産は彼のもので、彼女の実家が彼女に持たせたものを、どのように処理するのか、だけが問題だ、と言った。

この点に関して、メーチ・ケーウは何等の異議を申し立てる事もなく、却って彼に感謝したくらいであった。

というのも、己はすでに落飾して出家しており、世間も財産も、取るに足りない糞土のように思えたから。

彼女は、ビンロウを切る為に使っていた小刀以外、何もいらない、と言ったが、これほど小さな品物でも、布麻は:

あの小刀は結婚してから手に入れたものだから、俺のものだ、と反論した。

メーチ・ケーウは最後の小さな望みも諦めて、世俗の生活を遠離し、世間の一切合切を捨て、一切無所有の身となった。

(4-14につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-12

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

雨季が終わろうとしていた。

メーチ・ケーウは、安居が終わった後の、己の身の処し方を考えると、どうしていいか分からず、極度に苦しんだ。

彼女は全くもって、二度と再び、結婚生活に戻りたくなかったが、娘の幸福を、深く願ってもいた。

彼女はちびっこケーウと引き続き、親しい関係を保ちたかったし、母親の責務を果たし、彼女を教育してやり、彼女を育てたかった。

しかし、ちびっこケーウはまだ 10歳で、余りに小さくて、母親と一緒に、お寺で過ごすのは、無理であった。

その上、彼女はすでに出家していて、日常生活の必需品のすべては、お寺からの配給に頼っており、そんな少しばかりの物資では、娘を育てることは、できない相談であった。

メーチ・ケーウは慎重に、何かいい方法はないものかと、何週間も考え続けた。

そして、ゆっくりと、一つの考えが纏まっていった;

彼女は、家庭とお寺の生活の両方を、兼務することができる。

昼間は家にいて、母親となり、妻となり、世俗の義務を果たす;

夜には寺院で禅の修行をし、引き続き、道業に精進する。

この考えは荒唐無稽であったし、現実的でもなかったが、しかし、彼女はそれらの事は気にせずに、まずは試してみよう、と思った。

前に約束してあった通りに、メーチ・ケーウは、雨安居の最後の日に、家に戻った。

しかし、彼女は白い三衣を脱がず、戒も捨てず、メーチの身分を保ったまま、黒いスカートとブラウスで白い三衣を覆い、己の企みを隠した。

彼女は午前と午後は、ちびっこケーウと共に家事に勤しみ、その後に夕食の支度をした。

彼女は、家人が夕食を済ませた後に、夜の暗闇に紛れて、寺院に戻るつもりであった。

ちびっこケーウと布麻が、食卓に向かって食事をしている時、彼女は傍で世話をしながら、己は決して食べないで、メーチの不非時食戒を守った。

メーチ・ケーウのこのような態度は、布麻を怒らせた。

彼は彼女に、いったいどういうつもりなのかと詰問し、彼女に座って食事するように、命令した。

メーチ・ケーウは拒否した。

妻が言うことを聞かないのを見て、布麻は手を挙げた。

メーチ・ケーウは退いて、階段を駆け下ったが、布麻が追いかけてきた。

その時、ちょうどメーチ・ケーウの兄である英が道端にいて、布麻を押し止め、喧嘩をやめさせようとして、あれこれ宥めながら、メーチ・ケーウを家から遠ざけた。

布麻は怒り狂い、メーチ・ケーウと離婚すると咆哮したが、彼はまた、もし、メーチ・ケーウが財産を半分欲しいと言ったならば、最高裁まで争ってやると吼えた。

メーチ・ケーウは、暗くなった空の下を、急いで村を通り過ぎ、お寺に向かった。

世俗生活の心労と、苦難に疲れ果てた彼女は、その場で、もう決して、二度と還俗しないと、決意した。

(4-13につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4‐11

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

做個堂々正々的出家人!

(堂々、威儀ある、出家者になろう!)

不要貪図世俗生活的汚穢而毀了出家的発心、

(世俗生活の穢れに耽って、出家の発心を汚してはならない)

不要回頭、不要眷念俗家、親属。

(振り返るな。俗世間、親兄弟の事は、忘れてしまえ。)

 

ハチの巣をつつく

雨季の期間、ちびっこケーウは家にいて、時々、雑用をこなし、時々、従兄弟たちと一緒に遊んだ。

彼女は、明朗快活な女の子であったが、今は、母親と一緒に過ごした、安らかで快適な日々を、懐かしいと思った。

母親のいないこの期間、彼女は何とか、父親の機嫌を取ろうとしたが、布麻は不機嫌で、いつも、朝早くから出かけては、夜になってから、帰って来た。

斎戒の日、ちびっこケーウは、伯母たちと一緒に農々寺に行き、母親に会い、前に後ろに彼女にまとわりつきながら、家での出来事を話した。

彼女の話を聞いて、メーチ・ケーウは心配になった;

布麻がいつも家にいないなどという事は、尋常ではなかったし、ちびっこケーウの話では、彼女の夫は、いつも酔っぱらって、酒の匂いをさせながら、家に戻ってくるようであった。

子供の為に、メーチ・ケーウは時々家に戻って、家事をこなし、ついでに状況を把握しようと思った。

家に戻ると、夫はやはり、いなかった。

彼女は、家で一日中洗濯や洗い物をし、ご飯を炊いて娘に食べさせたが、布麻はいくら待っても、帰ってこなかった。

出家して三か月目、彼女は一週間に一度は家に戻ってみたが、この間、一度も布麻に会わなかった。

噂が伝わってきた。

布麻は、隣村の女性と密会しており、それは二人の子供を連れた寡婦であった。それだけではなく、布麻は酒を飲み始め、常に酩酊して酔いつぶれていた。

この噂を聞いて、メーチ・ケーウは夫の不忠に嫌悪を覚えた。

今、彼女は結婚生活に倦み、一心に梵行の生活をしたいと願い、還俗の事を考えると、気持ちが重苦しくなった。

彼女は己の約束を守ったが、夫は基本的な戒さえも守れず、常軌を逸した行為は、彼らの結婚生活を破壊した。

(4-12につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-10

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

こうして毎日、寝ないで頑張った所、彼女の禅修行は益々深く、微細になり、確信もまたそれにつれて、強くなった。

鋭敏な六根は、彼女を勇猛な人に変え、彼女の大胆で、猪突する性格に、合致した。

彼女は禅修行において、益々頻繁に禅相が出るようになり、内容は益々、奇特なものになって行った:

ある時は、未来を予見し、ある時は、異なる心霊の領域に入り込み、ある時は、深遠なる仏法を洞察した。

ある日の真夜中、メーチ・ケーウは深い定から出てくると、一つの禅相が見えた;

彼女の死体が機織り機の上にあって、身体はすでに腐敗して、膨張し始めており、色は黒く、皮膚が裂けて、膿と血が流れていた。

太った蛆虫が身体を覆い尽くし、蠕動しながら、腐った肉を食べていた。

イメージ全体は迫真に満ちて、見ていた彼女の心は、大いに、打ち震えた。

この時突然、彼女は、アチャン・マンが背後にいるように感じた。

どうやら、アチャン・マンは、彼女の背後から、肩越しに、この奇異な場面を、見ているようであった。

彼はゆっくりと、慎重に、メーチ・ケーウに注意を促した。

死ぬことは生まれることの当然の結果であるーー一切の衆生は、一たび、この世間に生まれ出て来たならば、必ず死ななければならない。

彼らの身体は、最終的には必ず腐乱して、元の元素に戻る。

実際、世間の一切合切は、みな衰退して、壊れてしまう。

死は、常に我々と共にあるが、しかし、我々はこの命題を、考えようとはしない。

アチャン・マンは彼女に、己自身の生老病死について、誠心誠意、思索することに、着手するように、と指示を出した。

(4-11につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-9

   <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウは、断食を試してみた。

続けて何日も食べないでみたが、彼女は、断食は心を昏沈させ、心を愚鈍にし、感情が揺れ易くなり、妄想の干渉を受けることに、気が付いた。

こうなると、心のエネルギーはスムースに流れる事ができなくなり、これらの障礙によって、彼女は精進を、保つことができなくなった。

彼女はアチャン・マン膝下の出家者の多くは、断食を、修行を向上させる方便として、常々、飢餓と各種の辛苦に耐え、断食を通して、覚醒心を高め、心を勇猛にし、専注力を鋭利に磨いている事を知っていた。

彼女は断食を試してみた後に、これは、己の性格に合っていない事を、認めた。

彼女の心は、断食から利益を得ることは、できなかった。

横にならず、徹夜して寝ない、という事に関しては、彼女はこれに、適応した。

メーチ・ケーウは、出家して二か月目の月日は、ほぼ:座る、立つ、歩くという三種類の姿勢の中にいて、全く横になる事はなかった。

彼女は ”静坐者の修行” を試す事にし、己の天性の長所に恃んで、禅修行を高める方法を研究し、それを編み出した。

メーチ・ケーウは、もし横になって眠らないならば、彼女の心は光明に満ちて、鋭敏になり、覚醒的な覚知力を得て、また非常に安らかで、静かで、調和がとれる事を、知ったのであった。

こうして、彼女は、21日間連続して、横にならずに修行、精進した。

(4-10につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

是誰庵のひとやすみ~怒ってみた

仏教の啓蒙本で、よく『怒ってはいけない』という題のものがあるのですが、私はそれらの本を、あえて読まない。

それは余りにも正論で、先に理想を掲げて、無理やり怒らないように我慢する、という事は、私にとっては、偽善だから。

私は長い事 イエスマン(ウーマン)でした。

苦しかったなぁ、その偽善。

仏教は慈と悲を説きますが、決して、イエスマンを求めてはいません。

うわべの優しさで苦しんでいる人は、原点に戻って、己の本心を見つめ、自分の中にある怒りを率直に、認めることです。

仏陀だって、お弟子さん達が争いを起した時は、悲しかったのか、洞窟に籠りました。

一人の横暴な弟子(シッダッタ王子が宮殿を出る時に乗った白馬の御者)に関しては、自分が般涅槃した後、「サンガ全体でシカトして良い」と遺言しました(彼は、仏陀以外の人の言うことを聞かないから)。

どんなことにも我慢しなければならない、というのは、業の本質をよく理解した人にはできるでしょうが、凡夫はできません。

そこは認めて、自分なりにバランスを取ること。

たまには「怒って」もいいのではないですか?

(勿論、正念正知を鍛えて、すでに出た怒りは、即刻断じ、いまだ出ない怒りは出ないようにする、のが理想です。これが出来れば、自利&利他同時、になります。)

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4‐8

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

アチャン・マンが彼女に教えた禅の法門は、簡単そうに見える。

一定のリズムで念仏するのも、難しくはない。

しかし、彼女は、これほど長期に禅の修行をしていなかったし、今、心を専一に集中することは、言うは易き、行うは・・・であり、彼女が修行を再開した時、余りの気落ちに、頭を壁にぶつけたくなったほどであった。

彼女は、心と身体の対立を思った。

双方がお互いに値踏みし、心がこれを必要としている時、身体はあれを必要とした;

心があれを欲しいと思う時、身体は別のものを欲した;

己の内部全体は、支離滅裂であった。

食べ過ぎると眠いし、少ないと妄想する。

歩く瞑想と座る瞑想。

個人と大衆。

彼女は一体どのようにすれば、一日のそれぞれの変化の中で、それぞれの境界において、鋭敏で、自覚的な専注を保持できるのか、知りたいと思った。

(4-9につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>