Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#24-2

如何にして地遍を修習するか

地遍を修習する為に、あなたは黎明の天空の様な赤褐色で、木の枝、石ころ、または木の葉の落ちていない平地を探し、木の枝またはその他の道具でもって、直径約30cmの円形を描く。

これが、すなわち、あなたが禅修行する為の所縁ーー地遍である。

それに専注し、かつ「地、地」と黙念する。

目を開いて、一時それに専注した後、その後、目を閉じて、心の中で当該の地遍の映像を形成する。

もし、この方法では相を取る事ができないのでれば、あなたは、再度入出息念または白遍の第四禅に入り、その後に、禅定の光を運用して当該の地遍を照らす。

あなたが見る地相が、目を開いた時と同じ様に明晰である時、これは取相である。

この時、あなた他の場所に行って修行することができる。

地相の色彩、または地界の硬さ、粗さなどの特徴に専注してはならず、ただ、地の概念にのみ専注する事。

この取相に対して持続的に修習し、それが清らかで透明になる時、それは似相である。

その後に似相を、一度に少しずつ、十の方向に遍満するまで、拡大し、かつ、第四禅を証得するまで、この業処を修習する。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

する。

 

翻訳『親知実見』Knowing and Seeing #24-1

如何にしてその他の色遍を修行するか

もし、あなたがすでに、外在する骨格の白い色を通して、白遍を修行して、第四禅を証得しているのならば、あなたは、外在する頭髪でもって、青遍を修習することができ、外在する脂肪または尿でもって、黄遍を修習することができ、外在する血液でもって赤遍の修習することができる。

あなたは同様に、己自身の体内のこれらの部分を用いて、色遍を修習することができる。

修習に成功した後、あなたは、花びらまたはその他の外在する対象の色彩を用いて色遍を修行することができる。

すべての、青い色と茶色の花びらが、あなたに、青遍の修習をする様、呼びかけている;

すべての黄色の花びらが、あなたに、黄遍の修習をする様、呼びかけている。

すべての、赤い色の花びらが、あなたに、赤遍の修習をする様、呼びかけている;

すべての白い色の花びらが、あなたに、白遍の修習をする様、呼びかけている。

故に、一人の巧みな禅修行者は、己自身が見る事のできるどの様なものでもってしても、それが、生命のあるもの、または生命のないもの、内在のもの、外在のものに関わらず、遍処定と観の修習をすることができる。

パーリ聖典に基づくと、仏陀は十遍を教えたが、それらは、上に述べた四種類の色遍に、六種類の遍を加えたものである:地遍、水遍、火遍、風遍、虚空遍と光明遍である。<注113>

今、我々は、如何にして、その他の六遍を修習するのかを説明する。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

般若の独り言~自己肯定感の低い人

本日、ITのニュースを読んでいましたら、

「自己肯定感の低い人」向けの本が出ている、

という記事がありました。

私は、幼い時に、台湾人の母が(父も台湾人)、日本が嫌になったのか、父と諍いがあったのか、台湾に戻ってしまい、その後、10歳くらいの時に、継母が来ました。

幸い、祖母が賢明な女性で、私たち孫を懸命に守ってくれましたが、継子を差別する継母の言動で、家庭はひどく暗いものになりました。

それで、私も、思春期は、自己肯定感の低い人間だったのですが、それを救ったのは、一つは大学進学、もう一つは仏教の修行、です。

私は団塊の世代で、当時は男尊女卑、父が

「女の子は大学に行っても意味がない」

といい、兄弟の中では、次兄だけが進学したのですが、私は伝手を頼りに、一人東京へ出て働き、学費を貯めて、自力で大学の二部(夜間部)に進学しました・・・

大学は、勉強を教える所ではなく、勉強の仕方を教える所だった・・・

これが、暗記型、点取り虫型だった、私の頭を柔らかくしてくれて、のちのちの精神的成長の礎になりました。

仏教の修行では、入出息念(安般念、アーナパーナサティ)が、大変に役に立っています。

長年、入出息念を実践していると、心は外向きというより内向きになってきます・・・悪い意味の内気、内向的になる、という事ではなく、自省心、自制心が育つ事ですが・・・そして、自分の<心の癖>に気が付く様になります。

くだんの著書によりますと、自己肯定感の低い人は、マインドにバイヤスがかかり易く(=心にある種の偏向がある、すなわち、心の癖がある)、ありのままの自分を受け入れられない、との事です。

入出息念を実践すると、己自身の怒りや悲しみの沸き立つ時の、心の<初動スイッチ>に気が付いて、そのスイッチを入れる回数を、徐々に減らす事ができます。

仏教用語で言えば、入出息念は、心による<気づきの力>を育て、業(心の癖)を浄化する、という事でしょうか。

仏教用語で説明されると、反発を感じてしまう人は、心理学関連(気づき系)でよい本が出ているので、参考にされるとよいと思います。

<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

翻訳『親知実見』#23-6

もし、あなたが、あなたの過去世において、現在仏または過去仏の教えの下において、白遍を修習した事があるならば、それはすなわち、あなたに、白遍の巴拉密(pāramī)があるという事であるが、その時、あなたは似相(paṭibhāga-nimitta)を拡大する必要はない。というのも、あなたがそれに専注する時、それは自動的に十方すべてに拡大するが故に。

この状況の下、あなたは、心をして平静に保ち、拡大した白遍に専注しなければならない。

それが安定する時、ちょうど帽子を壁にあるフックに掛けたかの如く、あなたの心は、白遍のどこか一か所に安置されるであろう。

心をして、そこに留まる様にし、かつ、引き続き不断に:

「白、白」と黙念する。

あなたの心が、平静で安定している時、白遍もまた、静止して安定し、かつ、非常に潔白に、明るく、清らかになる。これもまた、似相である。それは、元々あった白遍似相が拡大された後生じたものである。

あなたは、引き続き、白遍似相を継続して、一時間または二時間専注できる様になるまで、修行しなければならない。

この時、五禅支が、あなたの心の中において、非常に顕著になり、明晰になり、力のあるものになり、あなたは初禅に証入する事になる。

五禅支とは:

1、尋(vitakka):心をして白遍似相に導きかつ安置せしめる。

2、伺(vicāra):心をして白遍似相において、維持せしめる。

3、喜(pīti):白遍似相を喜ぶ。

4、楽(sukha):白遍似相の楽しさを体験する。

5、一境性(ekaggatā):一心に、白遍似相に専注する。

諸々の禅支を合わせてジャーナと言う。

この時、入出息念の説明の中で話した方法に基づいて、白遍初禅の五自在<注112>を修習する。

その後に、第二禅、第三禅と第四禅、及びその他の五自在を修習する。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

翻訳『親知実見』knowing and Seeing#23-5

白色の円相を拡大する時、あなたは、それが不安定になっているのを発見するかもしれないが、その時は、あなたは、それに対して「白、白」と黙念して、それを安定させなければならない。

但し、定力の安定するに従って、遍相は安定し、かつ静止する様になる。

最初に拡大した遍相が、安定した時、あなたは、上に述べた段階を踏む;次に、若干の寸法を拡大していく。

この様に、逐次、遍相を一ヤード(=91cm)まで拡大し、次に二ヤード・・・最後には、あなたの周りすべて、十の方向、際限なく、あなたがどの方向を見ても、見えるものすべてが白色でる様に実践する。

内在であろうとも、外在であろうとも、一筋の物質の痕跡もないほどに(すべてが白色となる様に)実践する。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>