Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#23-4

白色の円相が、ちょうどコットンボールの様に白くなる時、それは取相である。それが、明るく清らかで、明けの明星の様である時、それは似相である。

取相が出現する前の骨格相は予作相(予備相、以下同様。parikamma-nimitta)である。

遍の相が似相になるまで、それを「白、白」と黙念する。初禅に入証するまで、当該の似相に持続して専注し続ける。

しかしながら、その時、あなたは、定力が不足している為に、定が安定せず、長い時間維持する事ができないことを発見する。

定力を安定させて、定を持続せしめる為に、あなたは、遍相を拡大しなければならない。

この事を実践する為に、あなたは白色似相を一時間または二時間に専注し、その後に、一インチ、二インチ、三インチまたは四インチ(一インチ=2.54cm)という風に白色の円相を拡大していくが、具体的な大きさは、あなた自身が拡大可能であると判断して、成功するかどうか、その範囲とする。

但し、若し事前に遍相を拡大する範囲を予定していない、決定していないのであれば、その場合、遍相を拡大する事にチャレンジしてはならない。拡大する範囲を決定する場合は、一インチ、二インチ、三インチまたは四インチとし、その後に更に拡大するのがよい。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

般若の独り言~ミャンマーのクーデター

緬甸(ミャンマー)で、軍がクーデターを起し、アウンサン・スー・チーさんが拘束されました。

私は政治音痴で、政治関連の意見を述べると、

トンチンカンな事を言うので、発言はなるべく控えているのですが・・・

私の知人である在日緬甸人の話では

「軍部は、国が民主化すると、これまで築いた利権を放棄しなければならず、それが嫌で、クーデターを起した」

と言います。その通りでしょう。

気になるのは、僧侶、尼僧の方々の行動です。

通常、お寺にいて、修行に勤しむ僧侶、尼僧の方々は、世俗の生活、政治とは一線を画していますが、自分の国の行方を、心配しない人はいないでしょう。

20年前、私が修行で、緬甸の東部地域(モーラミャイン)に滞在した時、ある高僧が、よくヤンゴンの軍部の指導者に呼ばれたそうです

「俺にあいさつに来い」

という事でしょうか?

でも、この僧は、決してヤンゴンに行く事はなかったそうです、アメリカに説法に行く事はあっても。

僧侶方が、ある人の行いに抗議をする時は、その人のお布施、供養を受けない、のです。

早朝に、ずらっと並んだ施主、供養者の前を歩いて、食べ物や日用品など、色々なお布施を頂いた僧侶は、指弾されるべき行為をした(悪い)人の前に来ると、托鉢用の鉢の蓋を閉めてしまいます

「あなたの供養は受けません」

と、悪い人からのお布施を拒絶します。

僧侶に供養を断られる、用意したお布施を納めてもらえない、という事は、緬甸やタイの様な仏教国(注1)(注2)では、在家信徒の最大の屈辱になるそうです。

軍によって、電波が遮断されて、情報の交流が出来なくても、万単位の学生たちのデモが続いています。

今回の騒動で誰一人も傷つきません様に、

一日も早く、民主的体制に戻ります様に。

(注1)緬甸やタイは敬虔な仏教国ですが、仏教が国教になる事はありません。仏教は、ゴータマ仏陀の遺言で、《国教にしてはいけない》事になっています。国教にすると、僧侶の権力が肥大して、サンガは確実に腐敗しますから。

(注2)緬甸、タイ等の原始仏教テーラワーダ)信奉国では、出家の僧侶は、誰よりも、王様よりも偉い、のです。俗世を生きる王様は、出家の僧侶(高僧)に跪いて、三拝しなければなりません(正しくは、仏・法・僧(=サンガ)に三拝)。

私自身は、バンコクから森林僧院への送迎等に、タイの軍人さんには、大変お世話になりました。緬甸の軍部が、当代唯一の高僧をヤンゴンに呼びつけるのは、本末転倒なのでしょう。

 <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

翻訳『親知実見』#23-3

あなたは、先に、外在の骨格の厭悪相を識別して、当該の相が安定して強固である様にし、かつ、骨格の白色が更に鮮明である様にする。

その後に、あなたは、厭悪の概念を「白、白」に転換して、白遍の修習とする。

もし、外在の骨格の白色を所縁として取るとして、あなたは、心をして平静にせしめて保持し、一時間または二時間専注する。

入出息第四禅の定力の力と推進力によって、あなたは、あなたの心が平静に、白色の所縁に専注するのを発見するであろう。

あなたは、白い色に対して、一時間または二時間専注した後、骨格が消失して、白色の円相のみが残されている事を発見するであろう。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

翻訳『親知実見』#23-2

如何にして白遍を修習するか

経典の中において、四種類の色遍の中では、白遍が最もよい、と言う。

というのも、それは、心をして、清らかに、かつ明るくすることが出来るが故に。<注111>

故に、我々は、まず、如何にして白遍を修行するのかを話したいと思う。

あなたは、先に再度、入出息第四禅に入り、禅定の光を輝かし、明亮にし、燦然とさせ、次に、この光を運用して、己自身に内在する、及び己の外部に外在する所の、自分の近くにいる衆生の、32身分を識別し、その後に、骨格を識別する。

もし、あなたがそれ(外在)の厭悪相を識別したいのであれば、それでもよいが、そうでないならば、ただ外在の骨格を識別する。

その後に、この骨格の中の、最も白い部位を選ぶ。

もし、骨格全体がみな白色であるならば、その骨格全体を対象の取ってもよいし、または、頭蓋骨の後部を選んで、「白、白」として、専注する。

もう一つの方法は、もし、あなたの定力が充分に鋭利であって、すでに、内在の骨格を厭悪として(修習しており)、かつ、それによって、初禅を証得しているのであれば、あなたは、己自身の願望に基づいて、己自身の骨格の白色を、修習の始まりの所縁とする事も出来る。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

翻訳『親知実見』Knowing and Seeing#23-1

如何にして十遍を修習するか

色遍

四種類の色が遍(kasiṇa)の修習に使用することができる:青、黄色、赤、白である。青(nīla)は、「黒色」、または「褐色」とも訳せる。

この四種類の色遍は、身体の異なる部分の色彩を相として取って修習することができるが、この方法は第四禅を証得することができる。

アビダンマの義注によると、頭髪、体毛、瞳孔は、青遍を修して第四禅に到ることができる;

脂肪と尿は黄遍を修することができる;

血液と筋肉は、赤遍を修することができる;

骨格、歯と爪の白色の部分は、白遍を修することができる。(Vbh.A.356)

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

翻訳『親知実見』#22-12

五禅支が明晰な時、あなたは再度、内在する骨格を厭悪として専注しなければならない。

この様に、内在を一diṭṭhi、外在を一度という風に、交代して、何度も繰り返す。

この方法を用いて、骨格の厭悪相の修習が、強固で

安定していて、かつ完全に展開された後、あなたは識別の方向を十の方角へと広げていかねばならない。一度に一つの方角を取る。

あなたの禅定の光がどこを照らそうとも、常に、同様の方法によって、一つ一つの方角に対して修習する。

あなたは、透視の智慧を運用して、近い所、遠い所の、十の方向にある衆生に対して、内在を一度、外在を一度という風に、交代しながら、あなたが、十の方向のそのどれにおいても、見えるものすべてが骨格であるという風になるまで、識別を繰り返し、修習する。

一たび、修習が成功したならば、あなたは白遍業処を修習することができる。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

翻訳『親知実見』#22-11

アビダンマの義注のよる解釈では、骨格厭悪相によって初禅を証得した人は、引き続き初禅の五自在を練習しなければならない。その後、禅修行者己自身から最も近い衆生を選ぶが、最もよいのは、彼の面前に座っている人である。

禅定の光によって、当該の人物の骨格を所縁とする。

彼は、それをば厭悪である、として専注し、かつ、五禅支が鮮明になるまで、修習しなければならない。

義注によると、五禅支が鮮明であっても、それはいまだ近行定(upacāra-samādhi)でも、安止定(appanā-samādhi)でもない、というのも、対象が生命であるが故に。(Vbh.A.356)

しかしながら、アビダンマの復注である《根本復注》(Mūlaṭīkā)によると、もし、外在の骨格を死者の骨格として専注するならば、あなたは、近行定に到達することができる。(Vbh.T.356)

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>