Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

アチャン・チャー一日一話~2>「流浪の人」

タイの高僧アーチャン・チャー(92年遷化)の法話集(台湾伝承出版社)が手に入りました。

P16にこんな事が書いてあります。

《我々が、本当の帰るべき家を見失った時、それはまるで、目標を無くして、町から町へと流浪する人のようである。あちらを彷徨い、こちらを彷徨い、一服したと思ったら、またあてどもなく出かけなければならない。本当の帰るべき家に帰りつく前、(あなたが)どのよう(な様子)であろうとも、故郷を捨てて出てきた流浪の人の如くに、誰もが何らかの落ち着きのなさを覚えるものである。ただ、その人が再度帰るべき家に帰りついた時にのみ、心底くつろぎ、自由になる事が出来る。

この世界では、我々は本当に平和で静かに落ち着いていられる場所を見つける事が出来ない。これが<世>の本質である。あなたは、あなたの内心を観照する事をもって、外部へ向かう探究心に代えなさい!!静かさとは、あなたの心の中に見つけるものです。

我々が偉大なゴータマ仏陀を憶念する時、彼の言説はかくも真実であり、我々は彼がどれほど尊敬されるに値するかと感嘆するものである!我々がものごとの実相をみるとき、たとえ我々がこれまで真剣に仏法を実践した事がないにしても、彼が教えた法~ダンマをみてとることができる。而して、我々が仏法に対する知識を有し、かつ仏法を学習し、実践もしてきたとしても、なお真理を見いだせないでいるならば、我々はなおも流浪の人の如く、帰るべき家を持たない》

(「森林里的一棵樹」より)

5月26日から<アーチャンチャー一日一話>をアップしています。タイの比丘様から頂いた法話集、台湾の出版社による中国語改訂版ですが、できれば一日に一話紹介して、私なりの意見を述べてみたいと思います。

で、本日の<流浪の人>ですが、多くの人は、自分が流浪している事を知らないのですね。ほどほどに豊かな生活をしている、餓えてもいない、借家とはいえ、住む家もある、何が問題?

人生の本質を知らない人は、刃物の上に塗られた蜜をなめてうっとりしている人のよう。やがて刃物で舌を切るであろう事を知らない。

台湾の仏光寺の山門に<回頭是岸(振り返れば岸)>と書いてありますが、岸とは帰るべき家という事ですね。家に帰ればくつろぐことができる。見知らぬ町を彷徨った事のある人ほど、故郷の有り難さを感じるものです。

(#2=150527)

                    (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)