南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー55

有と生、この二つの文字は、法(真理)の言語で理解しなければ

ならない。法の言語とは、「見法」の人が使う言語で、日常用語

で理解するものでは、ない。

日常生活の中では、死ぬのを待って再び生まれるといい、再度、

有と生が生起すると言うが、これは、人間としての肉体は、

一度しか生まれることができないので、死んだ後、棺にいれられ

て、その次に、新しい有と生が生じるのだと、言っている。

しかし、法の言語で言えば、一人の人間は、一日の内に、何度も

生まれる事ができる。

「私」「我」「私のもの」「我所有」(という感覚)が生じる度

に、有と生は生起する。一カ月に何百回、一年間に何千回、

一生の内に何億回の有と生が、生起している。

我々が、日常生活の中での有と生に、注意を向けるならば、

毎日たくさんの、有と生が生起している事が分かる。

我々が注意を払えば、すぐに知ることができる。

縁起はこの時、この場の事であって、死んだあとの、三世貫通

(の輪廻)を一回とすることでは、ない事を。

実際は、一日の内に、それは何度も運行され、受、愛、取が生起

する度、有と生は生じ、そして、一回分の縁起の流転を完成させ

るのである。

縁起は、毎日生活の中で発生しているもので、それは例えば、

落第した学生、失恋した女性等の心の中に起こるのであって、

日常生活の中で当たり前のように、みる事ができる事柄

なのである。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)