南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-34

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

この段階において、外部にある全面的認識と、心自身の内部にある映像・イメージは融合する。

我々は以下のように言うことができる:

少なくともすでに、欲望への観察は、50パーセントは完成していて、修行は、すでに最後の段階、最高の段階に来ている、と。

上に述べた修行方法を用いて、淫欲が残した微細な部分については、必ず、徐々に滅し去らなければならない。

不断に観想を精錬する事と、不浄の相への浸透は、智慧の純度を高めることができ、智慧の純度が強化されれば、淫欲が消滅するパーセントは、益々上がって行って、淫欲は、やがて消滅する。

智慧の掌握を加速すれば、イメージが心に戻って来る速度も速くなる。

最後には、ひとたび専注しさえすれば、一つの影像・イメージは、即、心の中に飛び込んできて、それ(=能知)と融合して、その後に消失する。

不断の練習は、この過程における速度を、益々加速させる。

最も熟練する時、映像は、それが心に浸透するやいなや、即刻、消失するようになる。

この観察の技巧は、修行における最高の段階の基礎にまで進展するが、この段階での、残ってある欲貪は、全面的に撤退し、非常に速くに、残された部分が、消滅させられることになる。

ひとたび、禅の修行者が、この最後の段階にまで到達したならば、醜さと美しさの、真正な根源は、明晰に見通されて、欲貪は、二度と台頭することはない。

それの、心へのコントロールは、すでに断ち切られたのであるーーそして、この状況は、決して、逆転することはない。

そうではあっても、淫欲のすべての痕跡を消滅させる為に、ある種の仕事は、いまだなされなければならない。

この作業には、時間がかかる。

この部分の観察は、非常に複雑で煩雑である:

身体の影像・イメージを狂ったような速さでもって生起させ、また滅し去らせるのであるが、これは最も大きな努力を払って欲貪の残りを、根ごと引き抜く(+修行な)のである。

この段階における禅の修行者は、本能的にどのように実践すればよいのかを知っており、故に、誰かに催促される必要もなく、己自身を観察して、自然な衝撃の力を、打ち建てることが出来るのである。

(1-35につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>