午前中に当ブログにおいて、ヤフーニュースで見た所の「中国仏教協会会長セクハラ告発」への、私の意見を書いてみました(「中国よお前もか」参照)。
キリスト教関連施設の性的虐待を見てもそうですが、出家女性が修道院や寺院などに入ると、その組織のトップである男性聖職者に従わなければならない状況が発生する事は、想像に難くありません。
特に、実家と縁を切って出家した女性は、帰っていく場所がないですし、「還俗は敗北だ」などと言われると、内部告発もできないまま、つい指導者の言われるままに、服従してしまうのでしょう(台湾では寺院での集団生活が嫌になった比丘、比丘尼は、申請すれば寺院を出る事ができるそうです。その時、自分一人で構える寺院は、精舎、と呼ばれます。)
私が 1980年代に、ダンマを学びに、タイの森林僧院に行っていた頃、聞いた話。
その頃から、日本でもテーラワーダの良い面が喧伝されて、タイで出家する日本人が、ぼつぼついました。
そして、彼らは、日本での己の財産を全て処分してくるのです。
<不退転の決意>というやつです。
家を持っている人は家を売り、財産を持っている人は、
その財産を処分してきたりして。
しかし、そういう<意気込んで出家した人>程、失望感、挫折感も大きくなります。
テーラワーダの僧院・寺院と言えども、聖者預流果の集まりでも、阿羅漢の集まりでもありません。ほとんどの出家者は、あなたと同じ、昨日まで在家だった凡夫である訳で、テーラワーダの僧院も、一部指導者を除いて、ほとんどは凡夫の集合体と考えた方がよいでしょう。
故に、色々と問題は起きます。
その時、不退転で出家した日本の方は、「こんなはずではなかった」と言って、唇をかみます。
そして日本に帰ろうとするのですが、その時に、日本には自分の居場所がない事に気が付きます。財産を処分して、友人を断って来たが為に、帰るに帰れないのです。
寺院、僧院はおとぎ話に出てくる浄土や天国でもなんでもないのです。
テーラワーダ系の寺院で出家して修行に専念する覚悟であっても、退路は断たない事です(異郷で修行に成功したとしても、人は故郷が恋しいものですし・・・)。
「退路を断つな」
これが、私がタイの森林僧院の住職さんから聞いた、日本人出家希望者への戒めの言葉です。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>