10日付のブログ 『夜船閑話』 に、コメント(第三弾)を送信して頂きまして、ありがとうございます。
内容が、前に頂いて公開しました二つのコメントと重複しますので、今回の分は、割愛させて頂きます。
諏訪見様は、緬甸のパオ森林僧院(本山とヤンゴン分院)に行って、修行したけれども、パオ・メソッドも合わないし、食事も合わない、指導者の方々も、そこで出会った人々も、何かしっくりこない、という事の様ですが、その様な体験は、すべてご自身の、今後の成長の糧、肥料とする事ができます。
良寛さんは
「災難に遭う時は災難に遭うがよろし」
と言いましたが、災難と言うのは、ヨーグルトが少しずつ固まっていく様に、己自身の(悪)業が少しずつ固まって、その時姿を現したものであり、自分自身の性格、感情、考え、ものの見方、(これまで積み上げた負の)行動様式を理解する、大きな足掛かりになるものです。
「災難に遭う時は災難に遭うがよろし」(良寛)
「災い転じて法となせ」(20年前、私に癌が発見された時に、タイの僧侶から贈られた励ましの言葉。)
「敵があなたを育てます。敵というのは有難いものです」
(二回目のコメントによると)新しい修行方法、マインドフルネスを見つけて、それにシフトすると決められたそうですから、これからは、そのコミュニティーの中において、前を向いて進んで下さい。成功を祈ります。
追伸:私は35年の間、タイと緬甸で座禅・瞑想を実践する内に禅病を得ましたが、大乗の白隠禅師も、禅病を得て治療法を探して奔走したという事は、禅病はテーラワーダ、大乗に関係なく発症するものだ、と言えます。
私自身は、禅病を発症した事は、複合的な要因があり、それを、タイの森林僧院の指導者A尊者が悪い、緬甸パオ森林僧院のB尊者が悪いという様な、犯人捜しは慎むべきだと考えています。
<気功>と<軟蘇の法>で禅病が治りましたら、また安般念に戻り、最後の日まで精進して、せめて、パオ・メソッドに説かれる<16観智>まで、進みたいものだと思っています。
人生は短く、己が躓いた時、他者を憎んだり、犯人捜しをしていている暇は、ないのです(原因を分析して、反省し、受け入れ、改善する努力は、有用ですが)。