居士に関して言えば、戒行の清浄は、やはり必要である。
彼らは、できれば、禅修行の前に、己自身の戒行を清浄にしておくこと、すなわち、五戒または八戒を受持する事(が望ましい)。
この様に、禅の修行期間において、彼らの戒行が清浄なものであるならば、ジャーナを証得することは出来る。たとえ、彼らの、禅修行前は邪悪なものであっても。
例えば《法句義注》では、クッジュッタラー(Khujjuttarā)という女性下僕の物語<注395>を述べている。
彼女は、ウデナ王(Udena)の皇后であるサーマーヴァティー(Sāmāvatī)の女性下僕であった。
ウデナ王は、毎日、皇后の花を買う為に、八個の金貨を彼女に渡した。しかし、クッジュッタラーは、毎日、四個の金貨を自分のポケットに入れ、その残りの四個の金貨でもって、花を買った。
ある日、仏陀とサンガの人々が、花屋の家で供養を受けたが、クッジュッタラーもまた、花屋び手伝いをして、食べ物ぼ供養をした。
食事の後、仏陀は仏法を開示したが、その時、クッジュッタラーは、己の偸盗の行為を恥じ、かつ、二度と盗まない事を決意した。
彼女の決意は、仏法を聞くことを通して、戒行が清浄になった一つの例である。
禅の修行を通して、クッジュッタラーは、入流者(sotāpanna)になった。
その日、彼女は四個の金貨を自分のポケットに入れることはなく、八個の金貨すべてを使って、花を買った。
彼女がサーマーヴァティー皇后に花を渡した時、皇后は非常に驚いた。というのも、花は、これまでよりも、非常に多かった故に。その後、彼女は、己自身の過誤を懺悔した。