この様に慰めても、彼はどうしても辛い心が、拭えない。あなたも一緒になって心が辛くなり、涙が溢れる。 このとき、始まりは悲の心であったものが、涙をあふれさすころには瞋の心に変わる。 すべての、憂具はみな瞋であり、故に、悲の心と、瞋の心は、区別されなければならない。我々は、他人の苦痛を取り除きたいと望み、手を差し伸べるとき、それができないのであれは、捨が、必要になってくる。他人と共に、瞋の心を起こして、共に苦痛を背負うことは、あってはならない。悲の作用は、他人の苦痛を見ることに耐えられないこと、現起(現象)は、残忍でないこと。近因は、如理作意。文責:Pannyaーadhikaサヤレー。(緬甸パオ森林僧院ヤンゴン分院所属/般若精舎)