『アビダンマッタサンガッハ』 の 299ページに、【厭離智】と言う言葉があります。。。。 298ページから続く説明を参照しますと、仏教徒が修行を重ねていきますと〈行道智見清浄〉の段階に来て、そこに9つの智が生まれます。。。。。 その中の一つが、【厭離智】。。 5蘊に振り回される己にうんざりして、涅槃に趣きたいと言う思いを起こす事。。。。 私の修行は、まだ行道智見清浄まで来ていませんが、厭離智はあります。。。。。。。 瞑想・座禅を続けていますと、5蘊は縁によって生起し、6門を通して沸き立つ所の怒りや喜びはパブロフの犬ならぬ、一種の条件反射的で、心底つまらない、面倒くさいと、感じる様になります。。。。。。。。。。。。 涅槃とは何か? これまで、あまり具体的にイメージ出来ず、今もそれほどイメージ出来ている訳ではありませんが、バラモン教(現代のヒンズー教)の言う所の、……………………… <我を証して梵に帰る(梵我一如)> よりはレベルが上で、 涅槃は、常、楽、無我、浄。。。 涅槃の中の、この『無我(=非我=非梵)』は、……………………… <我を証して梵に帰る> (常、楽、我=梵、浄)教えへの、アンチテーゼであると理解しています。。。。。。。。 追加:涅槃の教えは、2600年前、バラモン教に不満を抱いたシャーリプトラ、モッガラーナ達が、ゴータマ仏陀の下に参集した、その大きな理由の一、でしょう。。