Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

パオ・セヤドー問答集~#039>問答(五)問5-2

#039-150804

問5-2 理論を用いて無常・苦・無我を知るのと、禅定を用いて究竟法(paramattha-dhamma)を識別するのと、この二つの方法の内、どれが比較的容易にかつ速く涅槃を証悟する事ができますか?

答5-2  無常(aniccanti pañcakkhandhā)とは何でしょうか?多くの注釈書の中で、このことについて、定義が行われています:無常とはまさに五蘊のことである(と)。故に、もし未だ五蘊を見た事がないのであれば、修行者はどのようにして無常・苦・無我を知る事が出来るのか?もし修行者がはっきりと五蘊を見る事ができたならば、彼は無常・苦・無我を知る事ができ、何ら問題はない。彼が五蘊を見る事ができないならば、彼はどのように(無常・苦・無我を)知る事ができるのでしょうか?いまだ五蘊を見た事がないのに、それを知ろうと欲するならば、その人の観禅(vipassanā)は、ただの暗記式の観禅に過ぎず、真正の観禅ではないのです。(修行者は)真正なる観禅を修行して初めて、道智と果智を証悟する事ができるのです。

五蘊とは何か?五蘊とは:色蘊、受蘊、想蘊、行蘊と識蘊です。色蘊は28種類の色であり;受、想と行は52種類の心所です。識蘊は89種類の心(citta)です。28種類の色は色で、52種類の心所と89種類の心は、名です。故に五蘊とは、名色でもあります。

これらは究竟の名色法であり、もし修行者がこれらの究竟名色法を見る事が出来たならば、彼は観禅(vipassanā)を修行する事が出来、そして、(その時)これら名色法の無常・苦・無我の本質を照見します。しかしながら、究竟名色法を見る事ができないならば、彼はどのようにして観禅を修行するのでしょうか?これら究竟名色法及びその因縁は観禅の対象であり、(それらを照見する事、)これこそが真正の観禅(vipassanā)なのです。真正の観禅だけが、道智と果智の証悟をもたらします。

故に、仏陀は≪大念処経 Mahāsatipaṭṭhāna Sutta≫の中で:涅槃を証悟したいのであれば、ただ唯一の道(ekāyana)しかなく、他に行く道はない、と教えました。修行者はどうすれば、これらの究竟名色法を見る事ができるのでしょうか?仏陀は:最初に禅定を修行しなさいと言いました。というのも、専注する心は究竟名色法とそれらの因縁を透視する事ができるからです。また、専注する心は、究竟名色法とその無常・苦・無我の因縁における本質を透視する事もできます。

速くに涅槃を証悟する事が出来るかどうかについては、個人のハラミツによります。例えば、シャーリプトラ尊者は、二週間修行に精進して後、阿羅漢道果を証悟しました:モッガラーナ尊者は、七日間修行に精進しただけで、阿羅漢道果を証悟しました;そして婆醯はただ短い開示「Diṭṭhe diṭṭhamattaṁ・・・」――「見る時はただ見て・・・」を聞いただけで、阿羅漢道果を証悟しました。このような、阿羅漢道果を快速に証悟するかどうかは、彼らのハラミツによって決定されます:シャーリプトラ尊者とモッガラーナ尊者は、一阿僧祇劫(asaṅkhyeyya)と十万劫(kappa)の間、彼らのハラミツを蓄積したのです。そして、婆醯はただ、十万劫の間だけ、彼のハラミツを蓄積しました。しかし、シャーリプトラ尊者とモッガラーナ尊者の阿羅漢道は上級弟子の覚智(aggasāvaka-bodhi-ñāṇa)と相応し、婆醯の阿羅漢道は、大弟子の覚智(mahāsāvaka-bodhi-ñāṇa)とのみ相応します;上級弟子の覚智は、大弟子の覚智より大いに優れています。このように、阿羅漢道果の素早い証悟は、彼らのハラミツによるもので、彼らの願望によるものではありません。というのも、涅槃を証悟する道は、ただ一本しかないからです。(完)

(翻訳文責Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。