Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー67

ここ(No66)には三個の連結点があり、「連結」(sandhi)と

言われる。その内の一個は、前世と今世の生の間にあり、もう

一つは、今の人生の真ん中、すなわち、因と果の間にあり、

最後の一個は、今世と来世を繋ぐ<生>である。

しかし、この説明には、不可解な点がある。

というのも、この場合「はるかに長い時間」(attha)という文字を

使って三世を連結しているのだが、その為に遥に長い過去世、

遥かに長い現世と、遥かに長い来世が生じてしまう。

しかし、パーリ経典を調べてみると、パーリ経典では、

現在の事を「はるかに長い時間」と呼びならわしているものはなく、

過去世と未来についてのみ、「はるかに長い時間」と言っている。

パーリ経典では、遥かに長い(遠い)前世、遥かに長い(遠い)

来世とは言うが、「現在」について述べる時、atthaという単語を

用いてはいない。

しかし、現代では、人々は、atthaを「時間」と直訳して、過去、

現在と未来の三世を表すのに、用いているのである。

12支は、惑、業、異熟によって分けられる。

無明は過去の惑、行は過去の業、識、名色、六入、触と受は

現在の業報、愛と取は今世の惑、業有は今生の業で、それは

未来を出現させる・・・生有と生、老い、死は来世の業報、

という形で、前世、今世と来世を説明する。

これは、一回の縁起の流転を、三世に貫通させる説明方法である。

しかし、諸君!

(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)