ここ(No66)には三個の連結点があり、「連結」(sandhi)と
言われる。その内の一個は、前世と今世の生の間にあり、もう
一つは、今の人生の真ん中、すなわち、因と果の間にあり、
最後の一個は、今世と来世を繋ぐ<生>である。
しかし、この説明には、不可解な点がある。
というのも、この場合「はるかに長い時間」(attha)という文字を
使って三世を連結しているのだが、その為に遥に長い過去世、
遥かに長い現世と、遥かに長い来世が生じてしまう。
しかし、パーリ経典を調べてみると、パーリ経典では、
現在の事を「はるかに長い時間」と呼びならわしているものはなく、
過去世と未来についてのみ、「はるかに長い時間」と言っている。
パーリ経典では、遥かに長い(遠い)前世、遥かに長い(遠い)
来世とは言うが、「現在」について述べる時、atthaという単語を
用いてはいない。
しかし、現代では、人々は、atthaを「時間」と直訳して、過去、
現在と未来の三世を表すのに、用いているのである。
12支は、惑、業、異熟によって分けられる。
無明は過去の惑、行は過去の業、識、名色、六入、触と受は
現在の業報、愛と取は今世の惑、業有は今生の業で、それは
未来を出現させる・・・生有と生、老い、死は来世の業報、
という形で、前世、今世と来世を説明する。
これは、一回の縁起の流転を、三世に貫通させる説明方法である。
しかし、諸君!
(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)