今の所、誰が最初に、縁起を、三世に貫通するものだとして
解説したのか、又は、いつごろこういう解釈が始まったのかを、
知ることは、できない。
最も早い文献では、《清浄道論》があげられるが、確定的なのは、
この本が出現する以前に、すでに、三世を貫通する縁起説は
存在していた、という事である。
もし、あなたが、この種の教えについて、詳しく知りたいと
思うならば、縁起を教える(タイの)仏学院で使っている書籍、
および《清浄道論》を開けば、三世に跨ぐ縁起の説明に出会う
事ができる。
通常、一般の人が言う縁起とは:無明と行が過去の因、
すなわち、前世の因で、識、名色、六入、触と受は今世の果。
愛、取、業有は今世の因で、最後の生有と生、老死は未来の果
である、という。
このように言えば、縁起は、三世にまたがる事になる。
再度復習すれば、12縁起の支分は、以下のように分断されたーー
前の二つを前世に、真ん中の8個を今世に、最後の一個または二個
を来世に(割り当てたのである)。
(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)