南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『禅修指南』11-2(320/520)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(二)随順縁起第二法

Sa kho so bhikkhave

kumāro vuḍḍhimanvāya indriyānaṁ

paropākamanvāya pañcahi kāmaguṇehi

samppito samaṅgibhūto paricārati.

・・・

Evanmetassa kevalassa dukkhakhandhssa

samudayo hoti.

比丘たちよ。

あの男の子は、諸根が成熟し、五欲を享受する事、すなわち、喜ばしい、楽しい、親愛な、好ましさと欲貪(kāmarāga)に関連する事に楽を得る。眼識から色彩を知り、耳識から声を知り、鼻識から香を知り、舌識から味を知り、身識から触を知る。

あの男の子は、喜ばしい色彩を見る時、それに執着する;

もし、それが喜ばしくないものであれば、彼はその色所縁に瞋心を起す;

彼は身至念(kāyagatāsati)に住まず、心が狭い。

彼は、不善法を完全に取り除き、低めた阿羅漢道心と、自在なる阿羅漢慧を、如実に知見する事ができない。

その人は、憎悪を好み、種々の受を体験し、または楽、または苦、または不苦不楽を体験する。

その人は受において楽しみ、心よりそれを歓迎し、言う:

「これは非常によい!これは非常によい!」

そして依然として、それに執着する。

受を楽しみ、心からそれを讃嘆し、依然としてそれに執着する。

楽貪(nandīrāga)が彼の心中に生起する。

受において楽貪するのは取である。

その後、彼において、以下の事が発生する:

取が原因で、有が生起し;

有が原因で、生が生起し;

生が原因で、老死、愁、悲、苦、憂と悩が生起する。

この様に、(全く楽しさのない)苦蘊が生起する。

(耳門などについても同様である)(《大愛尽滅經》)

上に述べた教示に随えば、以下の様に言える:

1、六処から始めて縁起を識別する。または

2、受から始めて縁起を識別する。

この識別方法は、随順縁起第一法の中の、六処から老死に至る方法と同一である。

更に遠くの未来世における、輪廻の終結まで識別する事を理解しなければならない:

1、六処、触、受、(無明)、愛、取、有(業有と行)は、今世に属する。2、生と老死は一番目の未来世である。

もし、更に遠い(未来)輪廻があるならば:

1、六処、触、受、(無明)、愛、取、有(業有と行)は一番目の未来世に属する。

2、生と老死は二番目の未来世に属する;等々。

禅修行者は過去の輪廻を識別する事もできる:

1、六処、触、受、(無明)、愛、取、有(業有と行)は一番目の前世に属する。

2、生と老死は今世。

その後に

1、六処、触、受、(無明)、愛、取、有(業有と行)は二番目の前世に属する。

2、生と老死は一番目の前世に属する。

その後に

1、六処、触、受、(無明)、愛、取、有(業有と行)は三番目の前世に属する。

2、生と老死は二番目の前世に属する;等々。

これは、二つの世を連貫させる識別方法である。

もし、比較的遠い過去世から未来世まで識別する事ができるならば、禅修行者はそれを相似している縁起第一法もまた理解する事ができる。

その理由は:

生とはすなわち、識、名色、六処、触と受であり、無明は愛と取に含まれ、行は業に含まれるが故に。

言い換えれば、縁起第五法(縁起の初めの段階において、已に説明した)と随順縁起第一法の二者に熟練している禅修行者にとっては、この随順縁起第二法は、非常に容易に修習できるのである。

(11-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>