<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第十章:四種類の縁起の教法
四人の藤の採取者が藤を採取する様に擬えて、仏陀は四種類の方法で、縁起を教えた。
すなわち:
第一法:初めから最後へ。
第二法:真中から最後へ。
第三法:最後から始めへ。
第四法:真中から始めへ。
(一)初めから最後へ=随順縁起第一法(anuloma paṭiccasamuppāda)
この四人の藤の採取者の中で、ある人が、先に藤の根を見つけた。
この人はその藤の根を切り、次には、その全体を、最後の尾の部分まで、ひとからげに持ち上げ、そして、それを持ち去り、それぞれ、適材適所に用いた。
同様に、仏陀は無明から始めて(始まり)、老死に至るまで(末尾)の方法をもって、縁起を教えた:
Iti kho bhikkhave avijjāpaccayā saṅkhāra・・・jātipaccayā jarā maranṇaṁ
ーーこの様に、比丘たちよ。
無明の縁によりて、行が生じ・・・生の縁によりて、老死が生じる。(《中部・大愛尽滅經)Majjhima Nikāya、Mahātaṇhāsankhaya Sutta;《清浄道論》第17章)
(二)真中から最後へ=随順縁起第二法
四人の藤の採取者の中で、もう一人の人は、藤の真ん中を見つけた。
彼はその藤の真ん中の部分を切って、上の半分だけを引っ張って、それを持ち去って、適材適所に用いた。
同様に、仏陀は教えた:
Tassa taṁ vedanaṁ abhinandato abhivadato
ajjhosāya tiṭṭhato uppajjati nandī.
Yā vedanāsu nandī tadupādānaṁ.
Tassupādāna paccayā bhavo.
Bhavapaccayā jāti、jāti paccayā jarāmaraṇaṁ.
ーー受者は心から、それを喜んで迎え入れて、言う:
「これはよい!これはよい!」
彼は、未だそれに執着しており、楽が彼の心中に生起する。
受を楽しむのは取であり、その人は、
取の縁によりて有が生じ;
有の縁によりて生が生じ;
生の縁によりて老死が生じる。
この様に、仏陀は、受(真中)から、老死(末尾)までの方法を用いて、縁起を教えたのである(《清浄道論》第17章)
(三)末尾から始めへ=逆縁起法(paṭiloma paṭiccasamuppāda)
もう一人の人は、先に藤の末端を見つけた。彼は藤の末端を引っ張り、その根に及んだ。次に藤の全体を持ち去り、適材適所に用いた。
同様に、仏陀は問う:
Jātipaccayā jarāmaraṇanti iti kho
panetaṁ. vuttaṁ jātipaccayā nu kho
bhikkhave jarāmaraṇaṁ no vā.
kathaṁ vā ettha hotīti.
Jātipaccayā bhante jarāmaraṇaṁ、
evaṁ no ettha hoti
jātipaccayā jarāmaraṇaṁ'nti.
Bhavapaccayā jāti・・・Avijjāpaccayā saṅkhārāti
iti kho panetaṁ vuttaṁ.
Avijjāpaccayā nu kho bhikkhave saṅkhārā
no vā、kathaṁ vā ettha hotīti.
Avijjāpaccayā bhante saṅkhāra、evaṁ no
ettha hoti ’avijjāpaccayā saṅkhārāti.
「『私は、生の縁によりて、老死が生じると言う。
比丘たちよ。老死は生が因であるか?
あなた方は、どの様に思うか?』
『生が因で、老死は生起する。尊者。
我々は、生の縁によりて、老死が生じると言う』
『私は、有の縁によりて生が生じ・・・
無明の縁によりて行が生じる、と言う。
比丘たちよ。
行は、無明が因であるか?
あなた方は、どの様に思うか?』
『無明を因にして、行が生起する。
尊者、我々は無明の縁によりて、
行が生じると言う』」
この様にして、仏陀は老死(末端)から無明(始まり)の方法によって、縁起を教えた。(《清浄道論》第17章)。
(四)真中から始めへ=逆縁起第二法
四人の藤の採取者の中で、もう一人の人は、藤の真ん中の部分を見つけた。
彼は、真ん中を切って、下に沿って引っ張って、根に至った。
彼はそれを持ち帰って、適材適所に用いた。
同様に、仏陀は教えた:
Ime kho bhikkhave cattāro āhārā kiṁ
nidānā kim samudāyā kiṁ jātikā kiṁ pabhavā.
Ime cattāro āhārā taṇhā nidānā taṇhā samudayā
taṇhā jātikā taṇhā pabhavā.
Taṇhā cāyaṁ bhikkhave kiṁ nidānā・・・
Vedanā ・・・Phasso・・・Salāyatanaṁ ・・・
Nāmarūpaṁ・・・Viññāṇaṁ・・・Saṅkhāran
kiṁ nidānā ・・・Saṅkhārā avijjā
nidānā avijjā samudayā avijjā jātikā
avijjā pabhavā
ーー比丘たちよ。
何が、この四食(āhāra)の因と縁(nidāna)であるか?
(その他の因と聚集する時。その他の因は趣、依存、時と加行である:gati、upadhi、kāla、payoga)
何がそれらの集(samudayā)であるか?
何がそれらの生の因であるか?
何がそれらの原因であるか?
この四食は、渇愛を因縁としている;
(その他の因と聚集する時)
渇愛によって集となり;
渇愛によって生の因となり;
渇愛によって原因となる。
渇愛の因縁とは何か?
・・・受・・触・・・六処・・・名色・・・識・・・行の因縁は何であるか?
(その他の因と聚集する時)
集とは何か?
生の因とは何か?
原因とは何か?
行は無明を因縁としている;
(趣、依存、時と加行等の因が聚集する時)
無明によって集となり;
無明によって生の因となり;
無明が原因となる。
この様に、仏陀は、四食、または業有、または愛(真中)から無明(始まり)の方法によって、縁起を教えた。(《清浄道論》第17章)。
上に述べた、四つの縁起の教法の中で、ここにおいて、第一法を説明した。
すなわち、始まり(無明)から始まって、末端(老死)までの、随順縁起第一法である。
次は、中から末に至る、随順縁起第二法を説明する。
(11-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>