善と善より生じる~
「当他安住於観照五取蘊的生滅時、以五取蘊為根基、
会覚得『是我』的我慢已自他心中断除。
如是、該比丘覚知:『会覚得是我的我慢已自我心中断除。』
如是、他対該事擁有完全的明覚。這些法的根基是絶対善的;
它們聖潔、出世間、以及是邪悪者無法接触的。」
上述の文は、以前に已に開示した所の、止・観、道及び果の
諸法について述べたものである。これらの法は、善より生まれる
(kusalāyatika)。というのも、善法は、それ自体で善法である
し、また同時に、善法の中から生まれ出るものであるから。
それはすなわち、初禅は善であり、第二禅は、善であると
同時に、善なる法より生じ、両者に渉るものである・・・
無所有処は善であり、非想非非想処は、すなわち、善自身であり、
かつ、善から生じたものである事によって、両者に渉るものである。
非想非非想処は善であり、須陀洹道は、善自身であると同時に、
善より生じた事によって、両者に渉るものである・・・阿那含道は、
善自身であり、阿羅漢道は、善自身であると同時に、善より生じた
事によって、両者に渉るものである(+事を意味する)。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)
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