Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー3

この種の誤解は深刻で、また、気づくのが困難な後果を敷衍させ、それは、仏法の研究、修持と弘法について、重大な妨害の要素となった。

というのも、一人の人間が、もし正確な知見を持たないならば、完全に苦痛を取り除くことはできず、かつ、ますます正道から離れていくことになるし、また、さらに「自我」に執着するようになる;そして、「自我」がより精緻であるとき、人々はますます「自我」から離れられなくなる。ゆえに、我々は「無我」の教理について、非常に注意を払わなければならないのである。

《無我》この本は、タイのすべての文献の中において、「無我」について書かれた最も深く鋭い解釈が述べられており、それは(+「無我」について)疑問を持つ者への、疑問解消のための、非常に助けになるものである。

作者は、著作の中で、「無我」を研究する重要性と必要性に言及しているが、また、「無我」は、大乗仏教小乗仏教上座部仏教)の長期的な論争の主題でもあった。

仏陀「無我」に対する開示を解説する以外に、著者は、仏陀の観点とその他の教義の異なる部分についても言及している。

たとえば、フルナカッサバ、マッカリゴーサ、アジタケーサカンバラ、パクダカッチャヤナ、サンンジャヤヴェーラタプッタ、ニーガンタナータープッタなどの六師外道の間違った観点、及びアーラーラタパサとウダカターパサの観点、さらに重要なものは、インドのヴェーダンタ哲学と《バガヴァットギーター》の観点である。

彼は、これら異なる教法を引用しながら、明晰な比較を加え、系統的にこれらの観点をまとめ上げた。

彼はまた、パーリ三蔵の中の《ポッタパーダスッタ》を引用している。この経は、仏陀がはっきりと、明確に、「自我」についての問題に対し、回答を行った内容を記載したものであるが、それは人々に完全に「自我」を取り除くよう導いたものである~この「自我」は、外道が修法するところの最高の者が説く「自我」を含む。彼らは、純潔がすなわち究極的な「自我」であると執着しており、かつ、仏陀が述べた「『自我ママ)

を拠り所にして(Attā hiattano natho)」の意味を完全に誤解しており、そのため、それを間違った解釈のままに広め、結果、苦痛を取り除く正道から離れてしまうことになったのである。

また、著者は、13人の西洋の哲学者を選んで、彼らの「無我」に対する見方を研究し、比較検討することによって、仏陀の観点が超越的であり、精密で深く、究竟解脱の正知であることを見出した。(+ )(= )訳者。

(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>