経典の中では通常、ある程度の、高度な定力を
”禅定” と呼んでいる。
禅定とはすなわち、心が高度な専注の状態にあることを言う。
人が、もし禅定の境地に到達することができたならば、その心は、極度の喜悦、楽しさ、安寧と殊勝な状態を、非常に長い時間、持続することができる。
仏教では、禅定を8つのレベルに分類していて、それは四種類の色界ジャーナと四無色定を含むものである;
すなわち、初禅、第二禅、第三禅、第四禅、空無辺処定、識無辺処定、無所有処定と非想非非想処定である。
これらの定の境地は、高いほど殊勝である。
高度な禅定の内においては、喜悦、楽しさはみな消えてしまい、心内にはただ、極度の安寧、微妙で殊勝な状態になる。
このほかに、心は専注してはいるけれども、比較的低いレベルの定があり、それは ”近行定” と呼ばれる。その意味は、ジャーナに近い定、である。
緬甸(=ミャンマー)、タイ、スリランカなどの南伝上座部仏教の国々では、これら定力を育成する方法は、今日に至っても、なお、普遍的に指導され、実践されている。
多くの、在家を含む禅の修行者は、比丘たちの指導に従って、それぞれ異なる程度の禅定の境地に到達することができ、己自ら、仏陀の指導した教えの可能性と実用性を証明することができる。
禅の修行者が禅定に入っている間、彼の心はいかなる煩悩も出現することはなく、ときには雑念さえも出てこない場合もある。
この間、困惑性煩悩は完全に、強大な定力によって、鎮伏されるのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-7につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>